2022/05/31

催眠療法

催眠によって「半年ほどなかった生理が来ました」とのご連絡を頂いた。
もっともその時は「催眠」とは銘打っていなかったのだが、やったことは事実上の催眠だった。
ちなみにこの方はその半年の間もヒーリングを受けて下さっていたので、これをもって催眠は従来のヒーリングより深い領域に届くと考えて良いのではないかと思う。
*勿論、これまでのヒーリングが重なって成果を得たという可能性、またどのみち半年ぶりに生理が来る体の周期だったという可能性もある。

ヒーリングをしていると、どうしても越えられない壁のようなものが出現することがある。
それはその人の固定観念や自己嫌悪や鬱状態などが作り出すもの。
落ち着きがない、気が上がっている、というくらいなら問題はない。
真呼吸して下さい、と言えば、ヒーリングが伝わる状態にすぐに入れる。

2022/05/30

大切なものは「目に見える」

「大切なものは目に見えないんだよ」という『星の王子様』の言葉がある。

「そんなことないよ」と私は思う。

「大切なもの」を、目に見えるように努めていないだけでしょう。
星の王子様に文句を言っているのではなく、「大切なものは目に見えないんだよ」という言葉を安易に引用するこの世の中に対して、そう思う。

大切なものは、確かに努力しないと目に見えない。

例えば、ほとんどの親は子供のことを大切に思う。
しかしその内の何割が、自分が子供を大切に思っていることを、ちゃんと子供に言葉にして伝えているだろう。
つまり「目に見え」るようにしているだろう。

2022/05/29

うっかり、感謝していない自分

昨日、一緒に食事をしていた方に台所を褒められた。
素敵な台所ですね、と。
いやいや、これで結構使い勝手が悪くて、と応えている自分がいた。

良くない。

褒めてくれたことに対して喜べば良いのであって、自分の日頃の小さな不満を言う必要はその時なかった。
相手が住宅メーカーや建築家なら話は別だが…

自分が話題をすり替えていることに気付かなかった。

①「台所、素敵ですね」⇒「ありがとう」
または

2022/05/28

人生に喜びを見つけ出す

この冬は父の手術などに関するごたごたで家の中のエーテル(気)の状態が一時的に悪化して、アトリエのねむの木を始めとして、いくつかの室内植物が枯れ落ちたり死んだりしてしまった。
私の領域の植物たちは、まことに浮き沈みの激しい環境に晒されていて申し訳なく思う。
しかし春になると、生き残ったものたちは再び元気を取り戻し、今では日に日に若葉を増やし続けている。
アトリエのねむの木もすっかり以前の勢力を取り戻した。

一方、17~18年もの間、全く蔓を伸ばすことのなかった藤が、今年初めてその初々しい蔓を見せてくれた。
先日見つけた時にはとても嬉しく、感動した。
かなり老齢の藤だと聞いていたので諦めていたこともあり、喜びもひとしおだった。

2022/05/27

天使の導き

最近、導きというものを肌で感じられるようになった。
そしてそんな時、自分がどう応じたら良いかということも。

一昨日、ピアノを買った。

その前に、13日にお下がりでピアノをもらったのだった。
しかし暫く弾く内に分かったのだが、性能が良くなかった。
24日に姉の家に行き、そこにあった電子ピアノを弾いたら、雲泥の差である。
二倍も上手く弾ける自分がそこにいた。
「このピアノの方が気持ち良いし、何より手を傷めない」

そう思って早速翌日、楽器屋に行った。
ピアノの天使のような店員が、色々と実演してみせてくれた。
天使曰く「今お持ちのモデルは手を痛めるのです。鍵盤の反応が悪すぎるので」

2022/05/26

催眠療法

昨日も催眠療法だった。
成果はやはり素晴らしいもので、「予想の30倍くらい凄かった…」とのご感想を頂いた。

催眠というとちょっと怖いイメージがあるかもしれない。
適した言葉はおいおい見つかると思うが(または皆さんが慣れてしまうか)、 やっていることは基本的に瞑想教室でしているのと同じこと。
言葉によって意識を引き上げたり、どこかに向かわせたり、手放したりすることを誘導する。
そうすることによって、一種の変性意識に向かわせるのだ。

良いエネルギーというのは、私たちに既に内在している。
それは「まだない」「外に探しにいかないといけない」ものではない…
これは最近の私の学びの中でも特に大きなものの一つだった。

2022/05/25

新しいヒーリング法

昨日、新しいヒーリング法を試した。
この数日そのことに思いを巡らせていたのだけれど、折良く機会を得ることが出来た。
結果は申し分なかった。
「こんなにゆるんだのははじめてです…」とお客様もびっくりしておられた。

何をしたのかと言うと、催眠である。
催眠だとちょっと怖いと感じるかた向けに言い直すと、誘導である。
言葉によって、催眠または誘導をかける。
すると受け手の意識がヒーリングを受けるのに最も適した状態まで速やかに変化していく。
これは良い方法が見つかった。

暫く実践を重ねた後、遠隔でも対応したいと考えている。
電話を使えば、そういうことも簡単に出来る世の中だから。

2022/05/24

「本当の話」を喜んでくれる人

服を作りに、久しぶりに新宿に行った。
何年振りだろうか。
相変わらず賑やかな場所だったが、帰ってくることにはへとへとになってしまった。
たった2時間ほどいただけなのに、大した破壊力である。
勿論、行き返りの電車も堪えたとは思うのだが…
都心に私の生存領域はなさそうだと実感した。

などと言いつつ、久しぶりに出かけたついでに下北沢で途中下車して少しだけ歩いてみた。
下北沢には色々と思い出がある。
私がこの力に目覚めた頃、通いのカフェがあった。
店主はとても仲良くしてくれていて、どんなことでも打ち明けることができた。
ある日、カフェに行った時、店主は言った。
「凄く久しぶりだね、どうしていたの」

2022/05/23

本当の私を知っているのは、実は他人

2週間前に我が家に電子ピアノが来て以来、毎日楽しく弾いている。
バッハを今の所、4曲弾ける。
今、5曲目に挑戦している。

ピアノを始めたのは去年の7月。
幼稚園の園長夫人に「おじじってピアノ弾けそう」と言われた。
それで「ふーむ、そうか、ピアノを弾けそうに見えるのか」と思い、「じゃ、弾けるようになってみるか」と思って、練習を始めた。

ここでもう一つの選択肢がある。
「いやいやいや、弾けないですよ、ピアノ」
実際、弾けないからこれは事実である。
しかしこの返答の先に、未来の変更は一切ない。
ピアノを弾けない自分が、この後30年も40年も生き続ける。

2022/05/22

読書は自己投資

本を読んでばかりいる日々の中で、改めて読書は貴重な体験であると感じる。
世の中に知らないことが多い。
知った方が良いことはとても多い。

知るまでは、自分が知っている範囲がすなわち世界そのものだと思っている。
その世界は狭い。
家の外には燦燦と陽が射しているのに、家の中では分厚くカーテンを下ろして、蝋燭の光で辛うじて古びた日記帳に今日の出来事を綴っている。
うかうかしていると、そんな人生になってしまう。

数撃てば当たるの方針で、とにかく色々な本を読んでみると、そのカーテンがどんどん開かれていって、部屋の中が明るくなり、そして遂には外に出てみたい気持ちになってくる。
世界はもっと広くて楽しそうだ、という気持ちに至れたら、人間は幸せである。

2022/05/21

癇癪は子供の心の傷の声

夜、酒を飲みながら、本を読む。
昨晩はやや気温が高いながら、部屋に吹き込む風が気持ち良かった。
ふと、近隣から子供の叫び声が聞こえてくる。
癇癪を起しているようだ。
なかなかやまない。

子供が癇癪を起すようになった時点で、親は立ち止まって考えないといけない。
この子は何にそんなにストレスを抱えているのだろうか、と。
癇癪は決して全ての子が辿る道ではない。

原因は絶対に親にある。
親はなかなかそれを認めないだろうが、実はその認めない精神構造がそもそも子供の癇癪の元になっている気が、私にはする。
「自分の非だ」と考えられる時点で、その親には謙虚さがある。

2022/05/20

受け入れよ、さらば与えられん

人により境遇は様々で、明るい人生を生きている人もいれば、暗い人生を生きている人もいる。
自分の人生は自分でデザインすることが出来る、ということは、よく自己啓発本に書かれている。
最近、私は自己啓発本をよく読んでいる。

なるほど、確かに、と思う。
いや、しかし一方、と思う自分もいる。

「求めよ、さらば与えられん」という言葉が新約聖書にあるが、生憎それほど私は実感したことがない。
「いや、それは求め方が足りないんだ」と自己啓発のコーチは言うかもしれない。
多分、そうだ。
しかし「いや、だったらそこまでして求めなくていいんだ、私は」と言う自分がいる。

2022/05/19

手を合わせて祈る意味は

手を合わせるということが、何かとても重要である。
心がざわついている時なども、手を合わせると無心になれる。
それで私は色々な時に手を合わせている。
歩いている時も、人が見ていなければ(見ていてもあまり気にされないような時は)手を合わせていたりする。

昨日、子供に足を着いて走る自転車を買ってあげた。
子供は面白がってその自転車に跨り、道から道へと進んでいく。
その後をゆっくり追いながら、私は手を合わせていた。
するとこの子供に幸あれという思いが強く集中していくのを感じる。

昔は至る所、こんなだったのだろうな、と思う。
仏様にすがるという思いが当たり前に共有されていた。
それで年中、人は手を合わせては、こすり合わせていたことだろう。

2022/05/18

愛の実践

色々と諸事情があって子供と離れて暮らしているのだけれど、だからこそ愛情が深まるということもある。
子供に会うとまず彼を抱き締める。
そうされることが分かっているので、彼はじっと静かに立っている。
それから
「会えて嬉しいよ」
「大好きだよ」
と色々な時に私は彼に伝える。

思えば、自分がそんなことをされた覚えはない。
今自分がしているふうに親に接してもらっていたら、どんなにか人生が違ったことだろう。
それで子供には、自分に対する関心と愛情は当たり前のように存在する、ということを知ってほしいと思う。

2022/05/17

霊たちに挨拶する

朝、目を覚ますと「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と霊たちに言い、夜眠る前に「おやすみなさい。今日もありがとうございました」と霊たちに言う。
たったこれだけのことで、私たちは霊的理解を深めていくことが出来る。
毎日、何年も、それを続けさえすれば。

霊的、だけでなく、全ての理解は、ひたすらに時間を求める。
逆に言うと、時間さえ費やせば必ず理解は深まるようになっている。
その理解が生きている間に「完全」には至らなかったとしても、深化していくことだけは間違いない。

上述の挨拶は――
①霊たちが存在すること
②霊たちが自分を助けてくれていること
③霊たちがは私たちの言うことを聞いていること

2022/05/16

宇宙のことば45 蠍座満月

「自分のペース、自分の呼吸を失ってはいけない」
これは鉄則であるのだけれど、それは「自分が損しないように」とは違う。

自分が得するか損するかは、自分で選ばないといけない。
偶然得したり損したりしている内はいけないと思う。
なぜなら偶然得した時は良いけれど、偶然損した時に「ちぇっ」となるから。
その舌打ちが、不運と不幸の元なのだ。

自分の選択で自分が損するとはどういうことだろう。
例えば、助けたい・助けねばならない(と自分が信じる)人がいる。
その人を助けるには、自分が損をしないといけない。
その時に、自らを損を取るということを選択する。

「自分が損しないように」という考えがあると、そもそもこの選択は成り立たない。

2022/05/15

見返りを求めない心で②

見返りを求める心で事を為すと見返りはなく、しかし見返りを求めない心で事を為すと見返りがある。

これもまた、人生の法則。

だからと言って打算だけでは、見返りのない心は得られない。
見返りのない心は、あくまでも見返りを求めない、というだけのこと。
ただ相手のことを思い、そこに心を集約させて、欲目がふっと湧きそうな時にはぐっとこらえて、自分の根性を躾け直すことが必要。

相手が親でも子でもお客でも友達でも、いかなる時にも、見返りを求めない心で接することが出来たら、全ての時間は尊くなる。
失うものも何もなくなる。

2022/05/14

見返りを求めない心で

奉仕・貢献・恩返しには見返りを求めない心が必要だが、見返りを求めない心でそれを実行できた時、必ず見返りがある…という人生の法則。
逆に、見返りを求めて行ったことには見返りが伴わない、それで腹を立てる、というのもまた人生の法則。

私は長らく見返りを求める餓鬼の心で生きてきた。

しかし有難いことに年々それが薄まって、最終的に掻き消えた。
この方向に導いてくれた霊たちには感謝しかない。

霊たちは二つの経路で私たちを教え導く。
①思い付きによって
②他人の言動によって

2022/05/13

無知の知

本を読むと、知らないことに沢山出会う。
驚かされ、面白がり、沢山の疑問が生まれ、また答えを見つけ、一冊一冊を読むごとに自分の内的な世界が広がっていく。

思い返すと自分は実に尊大だった。
自分は大事なことは何でも知っているくらいに思っていた。
この力を得たのは2007年のこと。
いきなり神通力を得ると、人間はそんなものだろうか。

自分を恥じる気持ちが湧くこともあるが、そんな時私は『ゲド戦記』という本の、魔法使いのゲドのことを考える。
少年にして既に比類のない魔力を得た彼は高慢に陥り、禁断の罪を犯した。
老年になる頃には、彼は理法というものを弁え、孔子の言う所の「のりをこえず」となった。

2022/05/12

鳥の声を聴いて瞑想する

日によって意識の状態は毎日違う。
努力しなくても澄み渡っている日もあれば、どうにも雑想念が止まらないような日もある。
場所を変えると急に精神統一が易々と出来ることもある。
静かな部屋だと逆に雑念が湧いて、ふと思い立った所でそのまま瞑想を始めると、自然と入り込めることもある。
だからと言って、次の日も同じ場所でやると、全然駄目だったりする。
この世には本当に不思議な力が働いている。

ただしどんな時でも鳥の声は大いに精神統一を助けてくれる。
鳥の声を、先日書いたように「迎えに行く」と、雑念は急速に掻き消える。
聴覚にはそういう秘密があるらしい。
多分それで人は音楽に耳を傾けたりもするのだろう。

先日、子供と近くを散歩した時、駅前広場でマリンバの演奏があった。

2022/05/11

またまた檜原村にて。他おしらせ

14日(土)15-17時、『遺書2022』のオンライン勉強会をします。

先日、お値段を3000円下げたことを、お伝えしました。
つきましては既にご購入済みの方、土曜日までに以下3つの候補から1つお選びになり、その旨、私にお伝え下さい(既にご連絡済みの方は結構です)。

①勉強会に無料で参加
②後ほど、勉強会の録画を視聴
③値引き分3000円をヒーリングその他の代金に充当

これは15000円でお求め下さった方々に損の出ないようにするための措置です。

繰り返しますが、お値引きに関する対応の期日を土曜日までです!

2022/05/10

体験を濃くするのも薄くするのも自分次第

本を読んでもそのままにしておくと記憶が流れてしまって勿体ない。
食べ物はよく噛んだ方が良いし、腹ごなしの最中は少し休んだ方が良い。
瞑想した後はしばし余韻に浸ると良い。

…などの理由により、1月から読書感想文をつけることにした。
割り算すると、だいたい月に15冊読んでいる。
暇人は恐ろしい。

読んだ内容を全て記憶に留めるなんてことは出来ないけれど、何であれ、体験を薄くするか濃くするかは自分次第。
そして濃くするには、
①受動的ではなく能動的になること
②最低一回は追体験/反復確認すること

2022/05/09

「受け入れる」=「許す」

「いつかは受け入れられること」「いつかは受け入れないといけないこと」について書いた。https://ojiji1116.blogspot.com/2022/05/blog-post_7.html#more

「受け入れる」というのは「許す」というのも同じことで、ある出来事や状況や人が、自分の人生に存在することを「許す」時、それが「受け入れる」ということになると思う。

許さないということは、
・そんなことが自分の人生に発生することを受け入れないということ。
・そんな人が自分の人生にすることを受け入れないということ。

でも、受け入れたって受け入れなくたって、起きることは起きるし、在るものはある(でしょ?)
だから受け入れた方がいい。

2022/05/08

耳で音を迎えに行く

注意をどこかに定めてその状態を保つということには比類のない価値がある。

放っておくと、思いや考えはいつもどこかをさまよっている。
それは良くないことだと最近改めて深く分かった。

雑念はコスト0で無自覚にやっているように思えて、実は膨大なエネルギーを浪費している。
雑念を止めるには、エネルギーを投入しないといけない。
しかし雑念を止めることに成功すると、その静まり返った一点に回復力やその他諸々の貴重な力が集まってくるということがある。

この精神統一感は気持ち良い。

2022/05/07

苦しみが人を育てる(こともある)

人生には色々と予期せぬことが起きるけれども、その予期せぬことが起きた時に、受け入れるか拒絶するか、常にこの二択がある。
期待通りでない、そんなはずでなかった、それはおかしい、自分は悪くない、などなど拒絶するための理由はいくらでもあり、そしてそれらはとても力強い。

一方、受け入れる時には諦めの形を取ることが多い。
「いいですよ、もう」と。
しかしそれは本当には受け入れておらず、拒絶を包み込んでいるだけ。

本当に受け入れる時にはどういう訳か、どんなに嫌な、辛い、苦しいことでさえ、感謝に変わる。
何故かと言うと、その受け入れる心を得たことが、自分にとってとても大きな学びとなったことが分かるからだ。
そしてそのためには、その苦しみが絶対的に必要だった。

2022/05/06

日々の雑念対処

昨日の夢で、月にいた。
そこから地球を見た。
いたのは(地球上のこの)自分の部屋で、その窓辺から地球を下方に見下ろす格好。
美しかった。
漆黒の闇の中に青く輝く球体が、宝石のように浮かんでいた。
じっと見続けているのは不可能なくらい美しく、二秒ほどもすると飛びのいてしまった。
衝撃的なまでに心に震わせるものがあった。

初めて、自分の目で地球を見た体験。

そんな美しい夢を見ても、朝起きると雑念は元気に頭の中でお喋りしようとする。
今朝はなぜかJudy and Maryの『Lover soul』(だったか?)という曲が頭の中で鳴っていた。

2022/05/05

自分を大切にする

「自分を大切にする」ということは、分かっているつもりで実はまだまだということがある。
ここは大切にしている、しかしあそこの部分は盲点だった、というようなことがある。
大切にしていない時、そっとしておいているくらいなら良いけれど、往々にして粗末にしている。
そこに価値を認めず、手間やお金や時間をかけることを惜しんでいるということがある。

昨日、美容院に行って髪を梳いてもらった。
なんと、11年か12年ぶりくらいに行った。
それまではずっと、自分で髪を切っていた。
この毛質、この髪型である。
「伸びたな」と思ったら、ぐるっと後ろで縛って鋏でジョキン!
これでずっと済ませていた。
それで良いと思っていた。

2022/05/04

対面料金改正のお知らせ

こしきの輪についてお問い合わせがありましたので、過去に書いたものを書き改めました。
「霊的云々」が難解だった模様。
その言及は、私自身の意気込み表明のためには必要でしたが、お受けになられる方々にとっては不要な情報かなと思い、削除しました。
混乱させちゃ、いけないですね。
また、いくつかご感想も載せました。
ご感想を下さった皆様、ありがとうございます。


それとお知らせなのですが、7月1日から対面の業務を一律10000円にさせて頂こうかと考えています。
今は7000円/10000円の2通りなのですが、これは主としてお客様のご要望に応える形で適宜選択しています。

2022/05/03

守護霊の導きによって

静けさの内に耳を澄ますと、何よりうるさいのは自分。
いつも何か喋っている。
それで思う。「あ、また考えている」と。

ある時、私の中に守護霊の声が直結するようになり、何かボヤくようなことを言うと「おやおや」と言ってくれるようになった。
その前段階として、ボヤくようなことを今後はもう言うまい、と心に誓った。
何があろうと、自分に一分の理があろうとも(あるように見えようとも)。
そうしたら守護霊が教えてくれるようになった。
「おやおや」と。
それで私は黙ることを覚えた。

なぜそんなことを誓ったか?

2022/05/02

神のヒーリングを受けていました

神のヒーリングを受け、なんと14時間も眠っていた。

滅多にないことだが、何度かある。
目覚めると…特に何も変わっていない。
深すぎるヒーリングは、よく分からない。
それでも深く深く訪ねていくと、何か変わっているのを感じる。
改まっている。
それは言葉の届かない深み、言葉は立ち入り禁止の領域であり、そこで起きた変化や得た知恵は、年月の中で次第に開封されていき、新たな体験を日常に積み上げていく。
皆さんにも、そんな経験はありませんか?
きっとあるでしょう。

ここで重要なのは、「いや、ない」と思うのは意識の水深5mくらいで出てくる反応で、これを50m、500m、5000mと下げていくと、全然別種の答えが出てくる。

2022/05/01

宇宙のことば44 牡牛座新月

ほほえみを浮かべてみる。
にんまりと笑顔を作るのではなく、ちょっと良いことを思い浮かべる。
すると、笑顔になるでしょう。

ならない?

そしたら、その「ちょっと良いこと」があった時のこと、もう少し感情を込めて思い出してみて下さい。

力むことなく、頬の筋肉が上がっているでしょう。

仏像の笑顔です。
自然なほほえみです。

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昨日のブログ、評判が良かったですね。 皆様のお役に立てば嬉しいです。 今日はお知らせです。 会員制のブログを始めます。 『遺書』の更に奥にある、この世界の秘密について語ります。 人によっては恐らく、 「一番知りたかったこと」を知ることが出来るでしょう。 その辺りのことを言葉にして...