2023/02/28

夢を豊かに

夢というのは面白いもので、見れば見るほど豊かさを増していく。
ということは逆に、見なければ見ないほど、貧しくなっていく。
ここで言う夢は、いわゆる「イメージ」のことだと思って頂けると良い。
「夢」はイメージのぴったりの訳語ではないだろうか。

最近の一連の絵はだんだん、夢の豊かさを増している。
絵でもお話でも、どれだけ空想をふくらませることが出来るか、ということが重要である。
小さな物語を考える、というか思いつくままにする。
すると例えばある絵では、
「犬がハンチングをかぶって子供の手を引いている。コートの柄はこんな感じで、まだ春は来ていないが寒さはずいぶん和らいでいる。そしてこの子供は迷子なのだ。二人が立つ場所は…神社の境内だ」
なぜ、そう思い付いたのかというのは、謎である。
思いつきながら描き、描きながら思いつく。

こういうことが、夢が貧しい時には出来なかった。
出来ないと分かっていたので描かなかった。
夢は心を自由にし、解放してくれる。

2023/02/27

「たま」を輝かせよう

人は玉を一つ持って生まれてきた。
その玉を「魂」と言う。
この玉は神の分身なのだが、まだ充分には輝いていない。
時により、状況により、光ったり曇ったりする。
嬉しいことがあるとよく光る。
無気力になると曇る。
この人間世界は諸々の理由によって、無気力を助長するように出来ている。
そんな中だからこそ、玉を光り輝かせることにも面白さもある。

最近絵を描き始めたと姉に話した時、「いいねえ、こんな絵が描けて」と姉は言った。
「いや、描けなかったんだよ」と私は言った。

絵を描けない人(私の考えでは、絵を描けない人というのは存在し得ないのだが、まあそれは措くとして)にとっては、絵を描ける人は、描ける…
そう考えるのは自然なのだが、それは技術の話をしている。
実際には絵を描く時には技術より気力が必要で、要するに「楽しみたい」という気持ちが湧いてこないと、絵は描けない。
先程の「玉」の話である。

2023/02/26

神は(だいたい)何でもさせてくれています

「やってみたい」というのは幼心の発露であり、それは蕾が開くような、波紋が広がるような、ごく自然の現象であると思う。
私たちの誰もがそこから出発した。
しかし人生のかなり早い時期に「やってみたい」を飲み込むようになってしまう。
それで、やりたいことがすっかり思い浮かばない自分になってしまったのだ。
やってみたいと思っても、それを恐れたり、値踏みしたり、他人と比較したりする。

子供にとっては全てが遊びである。
私が何かしていると、子供が言う。
「まあちゃんがやってみたい」
それで、珈琲豆を惹く、お菓子の生地を混ぜる、カーナビの液晶画面を操作する、CDを出し入れする…

なぜか、人間の心というのはそうふうに出来ている。
飽きるまでやると、やめる。
途中で取り上げると怒る。
そもそもやらせないとごねる。

神は人を、子供を見る目で優しく見ている。

2023/02/25

遊ぶ心を保つ

先日遊びについて書いた。

遊ぶのはとても難しい。
例えば私は最近、遊びで絵を始めた。
最初は遊びであり、癒やしだった。
私の好きな寒い季節、お気に入りの机に向き合い、隣には石油ストーブ。
薬缶の立てる音がコポコポ。
窓の外を見ればどんな天気も素晴らしく(雪の日は最高だった)、そして好きな音楽を大音量で描けながら、思いつく小さな物語を絵にしていく。

癒やされる…としみじみ感じた。
自分がこういうふうにこういう形で癒やしを求めていることに初めて気付いた。
それで一日中描いていた。
それは遊びだったからである。
遊びは基本的に、一日中出来ることだと思う。

しかし日を経るにつれ、作品数は増えていく。
この調子だと30作くらいは軽いな、と思い始めた頃、個展でもやるか、と考え出す。
すると付随して色々と余計なことを考え出す。

2023/02/24

バランスを取ろう

様々な問題は、「バランスの悪さ」から来る、と私は考えている。

以前、職場では目一杯頑張って、家に帰ると廃人のようになっている、というような話を聞いたことがある。
それでその人は「家でもちゃんとしないといけないのは分かっているのですが」と言っていた。
「いや、それは違う」と私は言った。
外で頑張りすぎるから家で頑張れないので、むしろ家で頑張れないことで辻褄が合っている。

ではこの状況をどうしたら良いのか?

外で頑張りすぎないこと、なのである。

内と外、この二つの相異なる場における立ち振る舞いは天秤のようになっている。
外(職場)に「頑張り」をたくさん載せ、内(家)でも同量の「頑張り」をたくさん載せたいと言う。
そんなことをしたら、天秤はぽきっと折れてしまう。
家でちゃんとしたいなら、職場で今のように頑張らないことだ。

2023/02/23

遊ぼう

どんな巨木にも若木だった頃がある。
その更に前には小さな双葉だった。

原点というものは決して去らず、現在と共にある。
しかし私たちはそれを忘れ、過去のものは失われた、と思い込む。
もう子供ではないのだ、と言い聞かせる、というか、普通の「大人」は、わざわざそんなことを自分に言い聞かせるまでもなく、そんなことは分かりきったこととしている。
しかし私はそれは干からびた、冷たい、硬直した生き方だと思う。
心の原点は常に幼心であり、それは打算も計画も恐怖も比較も知らない。

この動画を見てほしい。

子供は水たまりを見た。
ふとある考えが浮かんで、散歩を続けられなくなる。
それでそっと犬の綱を置いて、何度か安全を確認しーー、水に飛び込む。
また飛び込む。
そして満ち足りると戻ってくる。

2023/02/22

あなたの心は良性か

例えば、ある苦しみがある。
そんな時、あなたならどうするだろうか?
内省する? 瞑想する? 心を清め、入れ替える? 

いや、多くの場合、私たちは外にすがる。
世間の常識に、専門家の判断に、ネットの情報に。
そして、自分を見ていない。
呼吸を忘れ、不安と恐怖に没頭している。

その状況が、問題なのだ。

あなたが問題だと認知していることが問題なのではなく、その問題を前にして精神が自立性を失っていることこそが最大の問題であり、あなたが認知している「その問題」の究極の源なのだ。

例えば病気を例に取ろう。
私のは良性だろうか、悪性だろうか…
それを専門医に尋ねる前に、あなたの心が良性なのか、悪性なのか、問わなくてはならない。

2023/02/21

宇宙の示す「道」

昨日はアトリエは盛況で、夕方まで口に物を入れる時間もありませんでした。
こういう機会にプチ断食してしまうのが良い。
体がすっきりしてきます。
暇だとつい…というのは、よくあること。

暇だとつい…お酒を飲む。
飲みつつ、描く(しらふの時もあるけれど)。
今期、描き始めて11日目にして、海外から絵の製作注文が入りました。
ただ先方の望むことと、こちらに出来ることが噛み合わなかったので、今回は辞退させて頂いたのですが、嬉しかったです。
初めてのことだったので。

宇宙は時々、このようにして道を示すことがあります。
これはいわゆるビギナーズ・ラック、というものです。
「そうそう、こっちの道で合っているよ」ということを示すために、驚くような幸運をもたらすのです。
その後、幸運はぱたりと途絶えます。
これは不運になったのではなくて、「あとは自力で、喜びや余裕や信念を保つようにして下さい」という、宇宙からの次なる知らせなのです。

2023/02/20

内なる「お客様」

魚座の新月です。

昨日は朝一番、いつもより、ズンと深い所に入っていました。
真呼吸会でお話したことですが、私たちの心は「半分が自分のもの、残りの半分は宇宙のもの」です。
まあ、これは人間向けのリップ・サービスです。
私の本心では「1割が自分のもの」というところ。

では「宇宙のもの」とは何か?

そうですね、これをお店のように考えてみよう。
お店は店主のものである。
しかし同時にお客様のものでもある。

そういうことです。

「この心は私の心だ!」と多くの人は思っています。
それは「このお店は私のお店だ!」と主張するのと同じことです。
お店は自分のものであると同時に、お客様との共有物であり、共に育んでいるのです。

2023/02/19

明日は魚座の新月

明日は魚座の新月です。
待ちに待ったという感じの、癒やしの時。
勿論、一年中癒やしというものはあるのだけれど、特にその波長の強い魚座の新月。

癒やしとは…
誰かに癒やされるのではなく、自ら癒やされること。

自分の内に、癒やしの力は潜んでいる。
でもその力は、深い水底に生きる魚のように、ほんの時折にしか浮上して姿を見せない。


2023/02/18

心は「自分の中にいる他人」

最近、「心」というものをよくよく感じるようになった。

この「心」というのは、非常に幅広い意味を持っている。
だから同じ「心」という言葉を使っても、言う人によって、その指し示すものは全く変わってくる。

多くの人は心を感情や思考と同一視している。
勿論、間違いではない。
しかし私は心の本質というものは、それよりももっと深い所に沈んでいると思う。

私なりにそれを表現すると、心とは「自分の中にいる他人」なのである。
他人だから、自分の思うようにならない。
しかし人は、心は自分のものだと誤解している。
だから心を踏みつけたり、何らかの変更を加えようとしたり、無理に決心させたり、やる気がないのに強いて頑張らせようとしたりする。
その結果、心はすっかり「私」との関係を悪くしてしまう。
一緒にやっていけなくなってしまうのだ。

これが心の病気の元であり、心の病気は体の病気の元である。

2023/02/17

画伯の言葉

皆様からいつもご質問を頂きますが、今後、簡潔にお答えできるもの、そして他の皆様にもそのお答えが役に立つと思われるものは、Twitter上でお伝えしようと思います。
このように。
アカウントをお持ちの方はフォローして下さい。
そして時々チェックして下さい。

先日お話した、ある画伯のこと、覚えているでしょうか。
その方の個展に行ってきました。

リンクばっかりですみませんが、こういう作品を描かれる方です。
ご興味のある方は行ってみられると良いかと思います。
呼吸が深くなる作品です。
京橋でやっています。

この画伯、聞けばその作品はオペラシティにも数点収蔵されているとのこと。
そんなに高名な方なのに、私に向かって仰ることが、

2023/02/16

絵のこと

姉が尋ねてきた。
色々世間話をしていた。
姉が言う。「帰ると暇なんだよねー。まだいても良い?」
「んー、まあ、いいよ」

お互い暇人である。

しかしもう珈琲もお菓子もお昼ごはんも出してあげて、話題もそろそろ尽きてきた。
「じゃあ、俺は次の絵の下書きでもするから、好きにしてて」
「うん」
私は描き出す。

「なんか、急に凄く眠くなってきた」と姉。「寝て良い?」
「どうぞ」
ヨガマットを敷いてあげる。

「まあくんが絵を描き出したら、眠くなってきちゃったよ」
「俺が絵を描くと部屋の空気が特別な感じになるんだと言われたことがあるよ」
そう言ったのは、前の妻である。

2023/02/15

掃除8〜病人のいる感じの家

家が散らかっていると、住んでいる人の心身に悪い影響が出る。
そもそも私が掃除のことを言い出すようになったのは、ヒーリングの必要上のことだった。
そうだ、その時の話をしよう。
とても印象的な出来事があった。

癌を患っている方だった。
病状が極めて悪化して、アトリエに来ようにも来られないと言う。
苦しくて嘔吐が止まらないとのことだった。
それで出張訪問した。
確かに本当に苦しそうだった。

ヒーリングの時(カウンセリングの時もだけれど)、相手がどういう状態であろうとも、勢い込んで仕事を始めず、まずぼーっと「何が出来るかなあ」と思いを巡らす。
(こういう時、私を見る人は心配だろうなあ…)
その時、私が得た直感は「この体に対して出来ることは何もない」だった。
代わりに、他にやることがあると思った。
それで家の様子を見させて頂いた所、神棚がとても気になった。

それで神棚を掃除させて頂いた。

2023/02/14

最近の絵

最近、とても久しぶりに絵を描いています。
是非観て下さい!

それと、完全に休眠状態だったFlickrも過去作品も、整理し直して一新しました。
Instagramだと前の作品はどんどん埋もれていってしまうので、こうして保存しているという訳です。

もしこの調子で絵が続いたら…あれをやるかもしれないですね。

それにしても面白いのは、今、描いている描法は6年前(8年前だったかな?)のある時思い付いたものなのですが、再びそれを試みると、

1.動物が服を着ている(以前は裸)
2.人間の子供が出てくる(以前は人間は出ない)
3.蛙が主役(以前は獅子か犬あたり)

という大きな変化を遂げていました。

2023/02/13

掃除7〜習慣づけ

先日の腰痛で倒れていた間、碌に掃除が出来なかった。
それでもあまり放置しておくと気持ち悪いので最低限はするのだが、やはりいつものようには行かない。
1週間もすると薄汚れて辛気臭くなってきた。
同時に、自分の気もかなり落ちていると感じた。
家の様子と心身の様子は影響しあっているものである。

以前、私は掃除の習慣を持たない人間だったので、いつも何となく散らかっている環境にいることに何の不足も感じなかった。
子供の頃の家庭風景を思い返すと、階段にいつも何かが積んであった。
典型的に、掃除の出来ていない家。

化学調味料と同じ話で、それを食べ慣れている間は平然としたもので、何とも感じない。
化学調味料から離れて初めて、それを食べた時に体が重くなることを実感できる。
しかしこれを化学調味料慣れしている人に話しても伝わらない。
「そんなこと言ったら何も食べられないじゃん」
「私は全然平気だよ」と。

2023/02/12

掃除6〜収納を増やすことなかれ

大は小を兼ねる、と言うが、良くない意味でも、そうだ。

この家は大きい。
台所とリビングの他に部屋が6つあり、納戸と半地下があり、物置専用みたいな屋根裏部屋も一つある。
だから「まあ、いいか、捨てなくても。スペースはあるのだし」という甘えが存分に利く。
結果、この家を離れていった家族の残していったものが、かなり長らく放置されたままになっていた。
先日の「1年前の缶コーヒー」どころではない、「18年前のバービー人形」がガレージで見つかった時には流石に白目を剥いた。
勿論、捨てた。

さてこの話を教訓とするためにサイズを縮小してみる。
「収納が上手く行かない」という話をよく聞く。
しかし実はこの考えでは決して家の中を綺麗にすることが出来ない。

なぜ初めにこの家の話をしたのか?
自慢じゃないよ。
それは、この家が大きく、驚異の収容能力があるからだ。

2023/02/11

掃除5〜断捨離、その前に

埃というのは一体何なんだろうと考える。

毎日毎日、埃は降り積もる。
毎日、はたきをかけ、掃除機、箒、クイックルワイパー、雑巾、その他で拭き取る。
埃が一通り除かれると「本日」が立ち現れる。
今日と言う日の包装紙ーーそれが埃の別名であるかもしれない。

なんてね。

なんと詩的な!

寝室は一番埃が溜まりやすい。
だから毎朝、埃を取る。
すると昨日の続きではない今日を迎えることが出来るようになる。
体を洗うこともそういうことなのではないかと思う。
洗って、清めて、汚れを落とすことで、「今」に調子を合わせる。

しかし埃よりはるかな大物がある。
それは歳月の内に増加の一途を辿った所持品。

2023/02/10

掃除4〜「時」を止めないために

掃除の話に戻る。

そもそも私なんぞが掃除について物申すのも本当に身の程知らずのことなのですが…
しかし出来なかった人間が出来るようになったからこそ、この方法や意義を伝えるのも一つの貢献であるかと割り切り、分かったような顔をしてお伝えしています。

トイレ、玄関をいつも綺麗に保っておくことで何が得られるのか?
「今」という時です。

時間というものは常に、過去の延長として現在がある。
しかしその現在を新鮮なものにするか、腐敗し、摩耗し、やつれ果てたたものにするかは自分次第。

例えばトイレにう*こがついている。
すると、そのトイレは***がついたその時で止まっているのですよね。
3日前に脱いだ靴が玄関に今もある。
するとその玄関は3日前で止まっているのですよね。

昔、友達から聞いた話。

2023/02/09

お米の食べすぎ?

満月ヒーリングの時の話題を最後にもう一つ。

「胃の裏側の背骨が重痛い」との訴え。
色々な原因が考えられるので一概には言えず、まだ確認も取れていないのですが、とりあえず食事かな、と見当を付けました。
胃や肝臓が負担過剰になると、その裏側の背中部分が痛くなったり凝ったりすることがあります。
酒を飲みすぎると、お風呂に入った時に肝臓の真裏が痛くなる、とかそういうことです。
ストレスや姿勢、その他諸々考えられることはあるのですが、今回は**さんのお話、暮らしぶり、人柄などから、胃に負担過剰→「胃の裏側の背骨が重痛い」と見当を付けたのです。

で、具体的にはどのようなことか、ということですが、お米を食べる量が多いのではないかなと思いました。
私は今42歳で、だいたいお集まりの皆様はこの付近の年齢の方が多いですが、「大食漢」「頑強」「鈍感」が該当しない場合、ヒーリングなどに関心を持たれ、なおかつ効用を感じる(または信じる)ことが出来るような方々は、体の作りが繊細であることが多いです。
そして40代に入ると、体が必要とする食べ物のエネルギー量が、それまでに比べて結構減ってきます。

2023/02/08

冷え、夜尿、薬、水飲みについて

満月ヒーリングの時に出た話題をもう一つ。

1.冷えと夜尿、
2.薬
3.水、
についてです。

1.
体が冷えると全身の状態が悪くなります。
また精神状態も悪化します。
それで温かくした方が良いのですが、温かくすべきは体および体に密着する部分で、部屋は二の次です。
最近、臍を出すファッションが若い女性の間で流行しているようですね。
月経不順にならないだろうか?
絶対になると思うのですが。
まあ知ったこっちゃないんですが。

それは私たちには関係ないとして、特に気を配って頂きたいのは睡眠時です。

2023/02/07

スマホの危険

掃除の話を中断して、満月ヒーリングの時に出た話題を挟みます。

皆様はスマホやパッドなどで漫画や小説を読む、といった習慣はありますか?
もしそうなら、やめたほうが良いです。
趣味に立ち入るのは本意ではないのですが、知っているのにお教えしないのも不親切だと思いますので、あえてご説明します。

なぜいけないのか?
1.姿勢が悪い
2.目に悪い
3.電磁波を浴びすぎる
4.精神力が落ちる

といった所です。

1.については、まず姿勢正しくスマホを見ている人など、まずいないでしょう。
だらしない格好でスマホの画面を覗き込んでいるはずです。
そういう姿勢で自分の体にかかっている負担は、あなどれないものです。
「スマホ首」という頚椎ストレスの症状が既に認められているくらいです。

2023/02/05

掃除3〜玄関

玄関の話の続きですが、脱ぐ時に、靴やサンダルの向きを揃える。
しかも混雑しているのでない限り、玄関に向かって丁度反対向きが良い。
90度の向きで靴を揃える人は割に多いのですが、180度の方が断然良い。
90度で揃える人は、「なぜ自分は90度にするのだろう?」と自問してみると、自分の心の癖に対して思わぬ発見があるかもしれません。
外出する時も、スリッパの向きを揃える。
つまり帰ってきた時に履ける向きにしておくということ。

これがなぜ大事なのかと言うと…
やってみると分かるのですが、家に帰ってきた時に、そのままスリッパを履ける。

「そのままじゃん!」と思うでしょうが、実はこれが掃除の基本的な姿勢のようです。
トイレ掃除も同様、次に使う時に気持ちが良い。ストレスがない。
これが意外に重要なのです。

別の言い方をすると、「未来の自分をお客として遇するつもりで」ということです。
客人が来る時、履きやすいようにスリッパを揃えるでしょう。
それと同じように未来の自分を扱うと、「次に気持ち良く使えるようにしておこう」と考えやすいと思います。

2023/02/04

掃除2〜玄関

トイレの掃除は習慣にしてしまえば簡単。
というのは、よほど本や新聞を持ち込む人は別として、トイレにはそもそも物が少ないし、空間も小さい。
しかしその他の部屋は物がいっぱいで、これらが適当な収まりどころを見つけていないために、話はだいぶ難しくなる。

トイレの次に玄関を見てみよう。
以前、私もそうだったのだが、靴がいつも土間に出ていた。
滅多に下駄箱にしまわない。
「また履くしな」と思うのだけれど、これがどうやら間違っている。

靴は理想的には、夜には下駄箱に入れて一日を終えた方が良さそうだ。
一応、風水的にはその方が運気が上がると言われている。
しかし逆境を生きる男おじじとしては、やっぱり「運気を上げたいから掃除」ではなく「自分の心を晴れやかに保ちたいから掃除」の方が、良いのではないかなあと思う。
勿論、そんなことは人それぞれで良いのだけれど。

ただ、これは重要なこと。

2023/02/03

掃除1〜トイレ

先日の真呼吸会で、掃除の話をした。
なかなか難しい…というお声。
そんな方の場合、とりあえず、トイレだけ、とか対象を一つに絞ってみると良いのではないかと思う。
「やはり毎日が良いですか」とのご質問。
毎日がお勧め。
というのは、このブログもそうなのだけれど、時々やるより毎日の方が楽だから。

例えば毎週日曜日には、と決めたとする。
すると日曜日に限って、用事が入って書けなかったり、日曜日に限ってネタが浮かばなかったりする。
「じゃあ明日…」
その明日が忙しい。
「次の日曜日…」
次の日曜日もまた用事が入る。
「ああ、書けない、何を書こう」と悶々として時間を無駄にする。
だったら毎日書くと決めてしまった方がいっそ楽。
という訳で、毎日ブログを書き、トイレも毎日磨いている。

2023/02/02

体の建て替え4

頚椎2番は言ってみれば、その人の苦しみの物語の最初の一行なのである。
だからそれを整える(しかしカイロプラティックのように外部的に物理的に操作するのではなく、あくまでも卒啄同時の精神で、非接触のエネルギーワークで行う。だから体を傷つけることがない)ということを、ヒーリングでしている。

還元論は好きではないのだが、頚椎2番から全てが始まる、と言うことは、まあそれほど誇大広告でもない。
「頚椎2番の緊張の程度」という起点から発して「α波になりやすい傾向」とか「β波になりやすい傾向」とか、はたまた「θ波になりやすい傾向」というのがあるのであって、この起点を認知せぬまま「モーツァルトを聴くとα波」というのは、間違ってはいないがちょっと浅いのである。

先日お話した「脳力」の正体とは「神と自分の関係における幸福感」のことだった。
α波の時、私たちはリラックスしていて、幸福感を覚えることが出来る。
だから「脳力」にいくらかα波が関わっていることは皆様も納得して下さることだろう。
そしてα波(を含む)の基礎には頚椎2番や頭蓋骨の状態がある。
従って、脳力拡張のためには脳に接する骨の状態がどうであるかということが重要になってくる。

2023/02/01

体の建て替え3

Uさんに首の立て替えがあった。
だからと言って、これは一度きりのことではない。
なぜなら生体というものはなまものであるから。
建て替えしたけれど、今回は上手く定着しなかったのでまた今度、ということもあるかもしれない。
多分今後も折りを見てあることだろう。

しかし頚椎を立て替えたからと言って何なのだろうか?
そこの所を、先日述べた「脳力」との関連で述べたいと思う。(復習はこちら

脳力というのはそれ自体で存在しているのではなく、体の諸機能と同じく他と関連し合っている。
ちょっとここの所を皆様にも非常に注意深く考え直してもらいたい。
例えば巷にはモーツァルトを聴くとα波が、みたいな言説がある。
実際、確かにそういうふうになっているらしい。
だがこの説明には重大なミスリードが含まれている。
それは脳波を脳波単独として捉えている点にある。
この「対象を単独で捉える」というのが現代人の思考回路の決定的な限界なのだ。

お知らせ

会員制ブログ新設のお知らせ

昨日のブログ、評判が良かったですね。 皆様のお役に立てば嬉しいです。 今日はお知らせです。 会員制のブログを始めます。 『遺書』の更に奥にある、この世界の秘密について語ります。 人によっては恐らく、 「一番知りたかったこと」を知ることが出来るでしょう。 その辺りのことを言葉にして...