2022/11/30

この体は賜り物

ご近所さんが、子供の農業体験で収穫したとのことで白菜を下さった。
とても大きい。
とりあえず数日天日干ししようと思って包丁を入れたら、相応に厚みのある芯に包丁が挟まった。
で、引き抜こうとしたら手元が狂って人差し指を掠めてしまった。
有難いことに…という解釈なので敢えてそう言うが、第二関節の側面に当たって骨に達した。
(この手の話、苦手な人は今日は読まないで下さい。)

と言っても、そこは皮の次はすぐ骨という箇所だから、骨に達したからと言って重傷という訳ではない。
なぜこれを「有難いことに」と言うのかと言うと、あの勢いで指の腹側に入っていたら腱をやってしまっていたかもしれない。
骨が守ってくれたのである。

2022/11/29

癒やしはどこから来るのだろうか

Hさんはアトリエの数少ない男性のお客様である。
だいたいヒーリングを受けられるような男性には心細やかな所がある。
いつもお会いすると人生について深いお話をするが、そんな時不思議に、私は茶室で武士を遇する茶人のような心持ちになる。
前世のこととは思わないけれど、イメージ的にそんな感じである。

久しぶりにアトリエに来られた折り、お食事をお出しした。
Hさんが私の料理を召し上がるのは初めてである。
「うーん…うまい」
何度も唸りながら召し上がっていた。
「お米が…うまい」
「味噌汁も…うまい」
そして
「思わず声が出るというのが良いですよね」としみじみと仰った。

2022/11/28

台所の白魔法

またまた食事の話。
Yさんがヒーリング後にお食事を召し上がり、素晴らしい感想文を書いて下さったことは先日書いた。
その他に個人的にメッセージを下さった。

「今日はとても深い学びをありがとうございました。
母の姿は当たり前に見ていたので、気づかなかったのだな、と思いました。
母も河邉さんも鍋をバンと置いたり、野菜にバーっと水をかけたり、冷蔵庫の中をガサガサ漁ったりなどせず、所作の一つ一つが料理の味に現れているのだ、と思いました。」

Yさんのお母様は本当に素晴らしいお母さんだったのだなあと感じる。
それが「当たり前」の風景だったことは、必ずや子供の人生の奥深くに貴重な地下水脈として後に残ると思う。

2022/11/27

「教え」に自分を染め上げる

先日Yさんが仰った。
「文章を書きながら、あれ、これは自分の考えなのか、カワベさんの考えなのか、と分からなくなりました」
またAさんは最近、人助けをすることが多い。
そんな時、「カワベさんから教わったことを伝えています。しかしこれがとても難しい。改めてカワベさんの凄さが分かりました」と。
自分が学んだことは他人に伝える段になってようやく本当に自分のものになる。
だからどんどん伝えてほしいと思うが、やはりタイミングというものがある。
タイミングが来ない内は、自分がそれを本当に信じ切って伝えることが出来ない。
だから変に相手から疑われたり反論されたり怒られたりすることもあるし、またその予感によって言葉が止まることもある。
また、そもそも伝えたいほどのレベルに達している他人が周囲にいないということもある。
くれぐれも誤解されたくないけれど、私の教えを広めよ、などと望んでいるのではない。
ただ私は次のように考えている。

2022/11/26

霊障診断

先日、ある症状に関して「霊障でしょうか」とお尋ねがあった。
霊障ではなかった。

霊障というのは何らかの憑き物が憑いている状態で、それにより諸々の不調や災難や奇怪な現象が起きたりする。
誰でも一度や二度――いやもっとか――これを経験することはあると思う。
それくらいに、人間界では当たり前に起きている現象。
ただしそれを自覚するかどうかは別の話である。

とは言えあまり過剰にびくびくしてほしくない。
それと前提として、霊障が問題というより、霊障に遭ってしまう自分の方に問題がある。
別に「だからそんなあなたはいけない」という意味ではなくて、自分で改善していくことが出来ること、またすべきことなので、霊障については繰り返すがそんなに怖がらないでほしいと思う。

2022/11/25

波動メーターを上がったり下がったり

「カワベさんのご飯を頂くと暫く何も食べたくなくなってしまう」とYさんが食後に仰った。
意味する所は、より波動の低いもの、健康的でないもの、心の籠っていないものを、受け付けられなくなる、という程のこと。
とても感じ入って下さるようで嬉しいのと共に、一回の食事が及ぼす影響の大きさにも改めて驚かされる。
更に詳しくはこちらをお読みください。
素晴らしい文章で食事のご感想を書いて下さっています。

「私は多分食いしん坊なので、食べ物から受け取るものが多いのです」
なるほど、確かにそういうこともあるかと思う。
またこうも仰った。
「アトリエで寝ていると、気持ち良くて動きたくなくなる。ずっとそこにいたいと思っていまいますが、でも戻らないといけないんですよねえ…」

2022/11/24

今度こそ射手座新月のメッセージ

起きたことは仕方がない。
振り返ってあれこれ考えても戻らない。
だから考えなくて良い。
「考えて次の失敗に備える」
分かるが、それも要らない。
なぜなら同じことは二度起こらない。
次は次でまた別の形で失敗するから大丈夫。
反省はあまり役に立たない。

そもそも反省しなくて良い。
後悔もしなくて良い。
自分だけが悪かったなんてことはない。
相手にも実はそれほど迷惑をかけてもいない。
起きたこと、それは「それが起きるのが良いこと」だったのだ。

2022/11/23

射手座新月のメッセージ(かな)

今朝は何かエネルギーが入れ替わっているのを感じた。
全体に世の中的に、ということでは多分なく、個人的なことです。
そういうことがなぜどういうタイミングで起きるのかは分からない。
ホロスコープを穴の開くほど見詰めたら、何か分かるのかもしれないけれども。

「変わった」という感じは何となく内側に生じる
多分そういうことは誰の身にも起きる事。
しかしそれは微細な感覚なので、気付くためにはそれなりにセンサーを育てておかなくてはならない。
つまり、真呼吸です。

最近、真呼吸会や瞑想教室で話した(気がする)こと、それは――
「相手、物事、作業、状況、そういうことに頭を取られている時、意識は体の内側にない。
自分を感じるということは、意識を内側に戻すことであり、それが在り方として正しい」

2022/11/22

人生をちゃんとする

「何でも好きなものを」と言われた誕生日プレゼント。
アームウォーマーを所望した所、「もう一点」と気前の良いことをこしきのシスターズが言って下さったので、珈琲器具をお願いした。
以前使っていたものが部分的に割れて、使えるには使えるのだが、出番をなくしてしまっていた。
それ以降はカップに直接か、または空き瓶に注いだり、またはサイズぴったり過ぎて逆に危うい軽量カップに注いだりしていた――ぐらぐらしてドリップ中に傾き、中身をぶちまけることも二度三度、それで菜箸二本で下駄状に支えるというトリッキーなことまでしていた。

私は「有り合わせ」の人生をずっとやってきた。
ある意味ではそれは非常に融通の利くことで、有り合わせで何とかする時の自分の機転や器用さは好きだった。
しかし最近、私は「ちゃんとしたい」という思いを強くするようになってきた。
有り合わせの、負の部分に気付くことが出来るようになったのだ。

2022/11/21

「怠け過ぎ」か「頑張り過ぎ」か

日本の南の果て(近く)にお住いの方からのお便り。 
状態としては精神的な疲労が肉体に対してやや重めの信号を発していた。
それでこの数か月、満月のたびに遠隔ヒーリングをさせて頂いている。

「精神を鍛える為には身体を鍛えるといい と、かわべさんのブログで拝見した記憶が、、、。
体調不良が精神的な影響からだということは、筋トレとかウォーキングとか、何か運動をしたらいい影響がでるのかな?
毎日畑仕事で体は動かしていますが…運動とはまた違うのかな(笑💧)と」

私がそのことについて述べた時、運動不足や体操不足を念頭においていた。
この方は農業をされているので、そこはなかなか当て嵌まらない。
勿論、肉体労働・重労働と言っても、使う筋肉や姿勢は一定の範囲に狭められているということは大いにあるので、仕事で体を使っていれば運動や体操は不要、とは言えないが。

2022/11/20

家の魂、家の願い

蕎麦屋の話を読んで、「満月でも高熱が出て倒れるようなおじじがそんな蕎麦屋の蕎麦を食べて大丈夫!?」と思われた方もいらっしゃると思う。
仰る通り、普通だとそんなものを食べると私は即座に下痢をする。
しかし、しなかった。
答えは私の中では明らかになっているように思う。
その店の神様が――精霊でも魂でも良いが――主人の全ての過ちを浄化していたのである。

その店は作りは古風で、どう見てもここ20年程度のものではない。
使われている建材や調度品や彫り物や飾り物もかなりの価値を有したものばかりで、長い時間を経ていることが分かる。
だから亭主は多分二代目なのである。

実は、法律に関することは、霊的世界の原則を再現する傾向にある。

2022/11/19

酷い店に入った。そこからの教訓

先日小淵沢に行った時、とんでもない料理屋に入ってしまった。
小淵沢の蕎麦屋である。
神の導きによって――と私は信じるのだが――行きたい店の全てが閉まっていた。
営業日の店も、なぜか13時に店仕舞いしていた。
それで通りかかった蕎麦屋に入った。
暖簾をくぐった瞬間、記憶が再生した。
この店には以前、入ったことがある。
それは少なくとも16年以上前のことだったはず。

ずっと、終始休みなく、亭主が細君に文句を言い続けている。
二人で経営している店である。
出来の悪い奉公人を小突き回すかのような罵詈雑言を並べ立て、妻の全ての行為に駄目出しをしている。
恐らく自分の脳内のイメージと妻のイメージが合致しないので――する訳なかろう――それで腹を立てているのである。

2022/11/18

食べ物の話

先日、小淵沢に行ってきた。
月に一度ほど行くのだが、そのたびに道の駅で大量の野菜を買い込む。
「一人暮らしだよね?」と姉に言われるのだが、お客様もいらっしゃるのと、もう一つの理由は、日持ちするからである。
「えー、葉物なんて二三日で駄目になるじゃない」
「いや、ならないよ。うちの冷蔵庫では最低でも10日は持つ。長ければ2週間でも余裕」と言ったら驚いていた。

別に特別な処理をするのではない。
食べ物に対して丁重に接することを心掛けていると、食べ物はそういうふうに応えてくれる。
調理したものも同様、勿論早く食べるに越したことはないが、調理された段階で波動の整ったものは日持ちが良い。

2022/11/17

低波動の人から負の影響を受けてしまった場合には

昨日は沢山の誕生日祝いのメッセージをありがとうございました。
皆様に温かいお言葉をかけて頂いて、本当に果報者です。
お陰様で忘れがたい一日となりました。
これからもよろしくお願いします。

 Kさんは今、状態が思わしくないようである。
満月の時点で、心身共に疲弊されているのを感じた。
Kさんはこう書かれた。

「おはようございます。
今日は、痒みで眠りが浅かったですが、朝はすっきり起きられました。
ちょっと感覚が鈍っているようで、いつものような良い感じを感じられていないのですが、気分は落ち着いていると思います。

2022/11/16

42歳

42歳になった。
と言っても私が生まれたのは23時7分のことなので、この時点ではまだ生まれていない。
つまり私が初めてこの世界の光を見たのは11月17日のことだったのだ。
そのことに先日初めて気が付いた。
それで納得が行ったのだが、車で走っていると非常にしばしば1117のナンバープレートを見る。
エンジェルナンバーというものに興味はない。
しかし恐らくここには私個人に対して何らかの含みがある。

1116の深夜に生まれた自分にとって、1117は多分、光を意味するのである。
私の人生は実際、闇から光へと向かっている。
それは小我を浄化し、大我と一つになる過程なのである。

人は誰もが、宇宙の道徳において罪びとであると私は考えている。

2022/11/15

人の怒り、神の怒り

先日の満月ヒーリングの時、Uさんにこう書いた。
「左半身、ちょっと下に引っ張られている感じがします」
Uさん「実は週末に左足首を捻挫していて、歩けばするけどまだびっこひきひきなので、その影響かと…」
凄い。どこの天才だ。
思わずこう言った。
「凄い!どうしてそんなことまで分かるのだろう…」
Uさん「私のセリフですね!(笑)」

ともかく、左足首の捻挫となれば、そこだけに我々の注意は向きがちだが、全身に影響があることを改めて学んだ。

2022/11/14

シローの学び5.料理の心得

Aさんのお便り最終回。
色々な学びがありましたね。

牡牛座満月の時に「愛着」の話をしたが、Aさんはこう書かれている。 

「お料理についてのお話も興味深かったです。私は料理する事が好きではなく事務的にこなしていましたが、切る時や料理を運ぶ時に意識する事で美味しいものを作る事が出来ると聞き、これは使わせてもらうべきだと思いました。「愛の対極は無関心」だという話も私的にはここに繋がり、無関心に近い状態で料理していました。それでは美味しいものも出来上がりませんよね。気をつけていきたいと思います。」


料理の心得は何か? というようなことを尋ねられた。

2022/11/13

シローの学び4.潜在意識の声

再び『シローの学び』の続き。 
Aさんは二泊三日の間、ずっと私の手料理を召し上がった――と言いたいところだが、意外にその量はあまり多くなかった。
何故かと言うと、空間、会話、料理その他諸々、全てにおいてエネルギーが濃密であったため、プラーナ(気)だけで足りてしまったとのことだった。

しかしその後、反動のようなことがあったようだ。
Aさんはこう考えた。

「滞在中、カワベさんのエネルギーいっぱいのお食事を頂いた事もあり、かなり食が細くなりましたね。帰路では、食欲が出てきて無性にお肉が食べたくなったのです。そして外の刺激(人の多さや、色や音)が辛いと感じました。これは一体どういう事が私に起こっていたのかを考えていました。

2022/11/12

皆既月蝕とまたまたおじじの発熱

あと2回、『シローの学び』が続くのですが、今日途中で一つ話題を挟みます。

それは先日の満月のこと。
皆既月蝕でしたね。

皆既月蝕というのは、太陽と地球と月が一直線に並んで、月に太陽の光が届かなくなる、それであの色になるそうなのですが、色以上に気になるのは、この三つの天体が「一直線に並ぶ」ということ。

そもそもなぜ満月新月ヒーリングのようなことをしているのかと言うと、縁起担ぎでもなければスピリチュアルブームに乗っかっている訳でもなく、月の移ろいというものが我々に与える影響が大きいからです。
動植物の中には満月の日を選んで産卵など、生殖に関する――つまり一番大事な使命――を行うものたちがいる。
産婦人科でも満月新月にはお産が多いという。

2022/11/11

シローの学び3.顔をゆるめ、己をゆるめる

Aさんのメッセージの解説の続き。

Aさんとお会いするのは一年に一度の機会であるので(なので「織姫」の異名を持つ)、三日連続でヒーリングをさせて頂いた。
一日目と二日目は肚揉みを始め、全身のマッサージをした。
二日目にはご自分で治し保っていけるように、体操をお教えした。
全身が緩み、調子が整い、5歳から10歳ほども若返って見えた。
三日目に残ったのは「顔」だった。
これは他人がどうこうするより、自分が改めていくべき領域である。
それで最終日に、顔の指導をした。

前提として、表情筋は肉体の筋肉と密接に関連している。
だから真呼吸会や瞑想教室の時、表情筋を緩めるように指導している。
また表情筋は無意識層の苦しみを表し、更に自分が遭遇する現実――つまり「あなたの世界」を決定している。

2022/11/10

シローの学び2.暮らしの中の真呼吸

頂いたメッセージの中でAさんが書かれていたことだが、生活空間の中で平常の動きを観察してこそ分かることがある。
アトリエでヒーリングを介して相対する時は、お互い無駄のない時間を過ごしている。
皆様もその時間内は良い意味で緊張され、自分の中の良い面を前に押し出しておられるはず。
しかし油断の生じる、そして漫然と事が進む生活の場ではどうだろうか。
分かり易く言えば、アトリエでは真呼吸を心掛けるものの、日常では全く忘れているということもあるだろう。

真呼吸の時は「さあ、真呼吸しましょう」と言っている。
また「これを日常の中で出来るようになりましょう」とも言っている。
しかし実際に本当に日常の中で真呼吸している人間はどういうふうに行動し、それはどのように自分と違うか、ということを知ることが大切である。
それをAさんはこう書かれている。

2022/11/09

シローの学び

Aさんが兵庫から二泊三日でお越しになったという話を先日した。
その後、Aさんご自身がご感想を書き送って下さったので、掲載のお許しを頂いた上で、皆様の学びに役立てさせて頂こうと思う。
よくよく吟味して頂きたい所は私が太字にしました。

「カワベさん、先日の2泊3日の旅では大変お世話になりました。学んだ事や、あれは不思議だなと思った出来事などを自分の中で色々考えるところがあり遅くなりました。 疲れ切って東京入りしましたが、至れり尽くせりのおもてなしに、心が満たされ癒され帰ることが出来ました。

滞在中に一番勉強になったのは、やはり真呼吸と顔をゆるませるという事でした。日常生活の中でカワベさんがどんな呼吸、どんなタイミング、どんな深さで真呼吸されているかを観察させてもらう事はとても勉強になり、日頃の私は全然出来てなかったなぁと反省しています。

2022/11/08

牡牛座満月。一杯の珈琲も魂の学び

愛着は私たちの人生に彩りを加え、豊かにする。
一膳の茶碗でも「これで良い」か「これが良い」かで、食事の体験は変わってくる。
しかし買う物や作る物ならまだ簡単な方で、目の前を端から流れ去っていくものに対して愛着を持てるだろうか。

例えば、水である。

「水に愛着を持つ」というのは言葉としてちょっと不自然なので、「大切に感じる」というくらいに言い換えよう。

珈琲をご自分で淹れられる方はご存じかと思うが、日々、珈琲の出来は異なる。
とても良く淹れられる日もあれば、そうでない日もある。
前提として、豆や器具は同じである。
そのような時、何が働いているのかと言うと、私たちの心が水に映し出されている。

2022/11/07

愛着を持って生きる

明日は牡牛座の満月。

牡牛座というのは、愛着の源となる心である。
愛着は執着とは違うものだと思う。
執着はそれなしでは不安になるような心の状態である。
しかし愛着というのは、今それがあることを喜ぶ心の状態なのだ。
執着は不安に根差しているが、愛着は喜びに根差している。

私たちの持ち得るものは全てが滅び、失われていく過程にある。
例えば切り花はしおれるし、食べ物は排泄されるし、服は破ける。
だから「いいでしょ、適当なもので」という考え方もあるが、「だからこそ」という考え方もある。
後者の方が、人間の在り方として豊かである。

2022/11/06

お金の話

甥を1か月居候させるに当たり、3万円を納めさせた。
甥の引っ越しの前日、車を破損した(私の車で彼の少ない荷物を運ぶ予定だった)。
ここには明らかに、何か繋がりがある。
修理の費用は多分3万円だな、と思ったら、案の定3万円だった。

この意味を何だろうと考えると、恐らく甥への奉仕は無償でなくてはならなかったのだろうということが分かってくる。
なぜ、というのは考え出すと切りがないし、理屈で分からなくても肚で分かれば良いので深追いはしない。
私としては「そうか、確かに」と分かった。

お金には色がある。
見た目はどれも同じお札や硬貨だが、どうやって入って来たか、ということはしっかりどこかに記憶されている。

2022/11/05

大日如来になっちゃった

Aさんが兵庫から二泊三日でいらしていた。
Aさんは5,6年ほど前に当時やっていたアメブロのブログで私を見つけられて、それからずっと満月新月ヒーリングを受けて下さっている。
また一年に一度、アトリエにお越し下さる。
いつもはホテルに泊まられるのだけれど、私もこの家に今は一人であるし、部屋もあるので、お泊めすることにした。

アトリエでのヒーリングや会話だけでなく、日常の動作や時間の流れからも、学ぶことは多い。
というか、むしろそちらからの方が多くを得るかもしれない。
ブログ、瞑想、各種文書、勉強会など、ほとんど残らず制覇されているAさんだけれど、多分これまで学んできたのは全貌の2割くらいだったのではないか…というような印象を持たれていたように思う。

2022/11/04

良いエネルギーを循環しよう

悪いエネルギー、負のエネルギーとの関わり方について書いたので、良いエネルギーについても書いておこう。
良いエネルギーは簡単に言って、私たちに良きことをもたらす。
仕事とかお金とか人の縁とかである。
そういうものが来た時、自分の中に留めないことが望ましい。
これについてはこしき民の皆様は私などよりはるかに出来ていらっしゃるので(私の方がむしろ皆様から教わった)、逆に私などに言えることはないのだが。

ただ一方、良い事や物がもたらされるとついつい手元に留めてしまう人もいるかと思うので、そういう方々向けに書いてみたいと思う。
自分自身が不運や不遇に長く留まっていると、どうしても餓鬼の心になりがちである。
ケチな人や出し惜しみする人は、それだけ苦しい思いをしているということだ。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』である。
折角自分の許に訪れた幸運は逃さずしっかり掴まなくてはと思うのは分かる。

2022/11/03

禍福は共に訪れる

自分が今現在纏っているエネルギーは日々転変している。
要するに晴れの日もあるし雨の日もある。
悪いエネルギーを纏っていると言っても、所によっては晴れているように、全身即悪みたいになっている訳ではない。
心の部屋またはエネルギーの貯蔵庫みたいなものは自分の中にいくつもあり、たまたまその内の一つが穢れている、というようなこともある。

自分の内なるエネルギー貯蔵庫の全てに残らず注意が向けられるようになると良いのだが、なかなか自分では難しい。
例えば先月私は高熱を出したが、その病み上がりに登山した時、登山仲間に「いやあ、それは***のせいでしょう」と明らかな調子で言われた。
もうお一人も「うん、うん」と。
分からないのは私だけだった。
そして言われた後で、「確かに…」とようやく思うに至ったのである。

2022/11/02

良き解釈によって体験を浄化する

厄落としの話を昨日した。
私もこの辺りのことを正しく理解している保証はないのだが、しかし次のように考えている。

良いことも悪いことも、エネルギーなのである。
例えば悪いことが起きる時には、既に事前に悪いエネルギーが自分に充填されている。
そしてそれが解放された瞬間をもって「悪いことが起きた」と私たちは考える。
しかし昨日の話の場合、充填されていた悪いエネルギーを、神様が善意で先に解放してくれたのである――誰にも危害の及ばない所で。
だからこれは災難ではなく、感謝である。

とは言えそもそも悪いエネルギーが充填されていたこと自体が問題ではないのか、と思われるかもしれない。
確かに良くない。

2022/11/01

心の鎮め方

自宅のガレージが半地下で難しい。
昨日3回目のガリガリをやってしまった。
公道では一度もやっていない。
よって、私の経験上最も難しいのは皮肉にも敷地内なのである…    

毎回パターンは同じで、斜面を下る時、うっかり間違えて壁に寄ってしまうことがある。
そこからさてどうする、と考え、サイドブレーキを引く。
ブレーキを離すと後ろにごろごろ滑り落ちてしまうので、ブレーキを緩めつつ、アクセルを徐々に踏み、それからサイドブレーキを引く…
そして1秒後に気付く――リバースのままになっていることに!

超高速で下り斜面を後退する我が車。
咄嗟に判断するも間に合わない。
それでガリガリ!となるのだが、昨日はミラーが大破した。

お知らせ

会員制ブログ新設のお知らせ

昨日のブログ、評判が良かったですね。 皆様のお役に立てば嬉しいです。 今日はお知らせです。 会員制のブログを始めます。 『遺書』の更に奥にある、この世界の秘密について語ります。 人によっては恐らく、 「一番知りたかったこと」を知ることが出来るでしょう。 その辺りのことを言葉にして...