2022/05/23

本当の私を知っているのは、実は他人

2週間前に我が家に電子ピアノが来て以来、毎日楽しく弾いている。
バッハを今の所、4曲弾ける。
今、5曲目に挑戦している。

ピアノを始めたのは去年の7月。
幼稚園の園長夫人に「おじじってピアノ弾けそう」と言われた。
それで「ふーむ、そうか、ピアノを弾けそうに見えるのか」と思い、「じゃ、弾けるようになってみるか」と思って、練習を始めた。

ここでもう一つの選択肢がある。
「いやいやいや、弾けないですよ、ピアノ」
実際、弾けないからこれは事実である。
しかしこの返答の先に、未来の変更は一切ない。
ピアノを弾けない自分が、この後30年も40年も生き続ける。

2022/05/22

読書は自己投資

本を読んでばかりいる日々の中で、改めて読書は貴重な体験であると感じる。
世の中に知らないことが多い。
知った方が良いことはとても多い。

知るまでは、自分が知っている範囲がすなわち世界そのものだと思っている。
その世界は狭い。
家の外には燦燦と陽が射しているのに、家の中では分厚くカーテンを下ろして、蝋燭の光で辛うじて古びた日記帳に今日の出来事を綴っている。
うかうかしていると、そんな人生になってしまう。

数撃てば当たるの方針で、とにかく色々な本を読んでみると、そのカーテンがどんどん開かれていって、部屋の中が明るくなり、そして遂には外に出てみたい気持ちになってくる。
世界はもっと広くて楽しそうだ、という気持ちに至れたら、人間は幸せである。

2022/05/21

癇癪は子供の心の傷の声

夜、酒を飲みながら、本を読む。
昨晩はやや気温が高いながら、部屋に吹き込む風が気持ち良かった。
ふと、近隣から子供の叫び声が聞こえてくる。
癇癪を起しているようだ。
なかなかやまない。

子供が癇癪を起すようになった時点で、親は立ち止まって考えないといけない。
この子は何にそんなにストレスを抱えているのだろうか、と。
癇癪は決して全ての子が辿る道ではない。

原因は絶対に親にある。
親はなかなかそれを認めないだろうが、実はその認めない精神構造がそもそも子供の癇癪の元になっている気が、私にはする。
「自分の非だ」と考えられる時点で、その親には謙虚さがある。

2022/05/20

受け入れよ、さらば与えられん

人により境遇は様々で、明るい人生を生きている人もいれば、暗い人生を生きている人もいる。
自分の人生は自分でデザインすることが出来る、ということは、よく自己啓発本に書かれている。
最近、私は自己啓発本をよく読んでいる。

なるほど、確かに、と思う。
いや、しかし一方、と思う自分もいる。

「求めよ、さらば与えられん」という言葉が新約聖書にあるが、生憎それほど私は実感したことがない。
「いや、それは求め方が足りないんだ」と自己啓発のコーチは言うかもしれない。
多分、そうだ。
しかし「いや、だったらそこまでして求めなくていいんだ、私は」と言う自分がいる。

2022/05/19

手を合わせて祈る意味は

手を合わせるということが、何かとても重要である。
心がざわついている時なども、手を合わせると無心になれる。
それで私は色々な時に手を合わせている。
歩いている時も、人が見ていなければ(見ていてもあまり気にされないような時は)手を合わせていたりする。

昨日、子供に足を着いて走る自転車を買ってあげた。
子供は面白がってその自転車に跨り、道から道へと進んでいく。
その後をゆっくり追いながら、私は手を合わせていた。
するとこの子供に幸あれという思いが強く集中していくのを感じる。

昔は至る所、こんなだったのだろうな、と思う。
仏様にすがるという思いが当たり前に共有されていた。
それで年中、人は手を合わせては、こすり合わせていたことだろう。

2022/05/18

愛の実践

色々と諸事情があって子供と離れて暮らしているのだけれど、だからこそ愛情が深まるということもある。
子供に会うとまず彼を抱き締める。
そうされることが分かっているので、彼はじっと静かに立っている。
それから
「会えて嬉しいよ」
「大好きだよ」
と色々な時に私は彼に伝える。

思えば、自分がそんなことをされた覚えはない。
今自分がしているふうに親に接してもらっていたら、どんなにか人生が違ったことだろう。
それで子供には、自分に対する関心と愛情は当たり前のように存在する、ということを知ってほしいと思う。

2022/05/17

霊たちに挨拶する

朝、目を覚ますと「おはようございます。今日もよろしくお願いします」と霊たちに言い、夜眠る前に「おやすみなさい。今日もありがとうございました」と霊たちに言う。
たったこれだけのことで、私たちは霊的理解を深めていくことが出来る。
毎日、何年も、それを続けさえすれば。

霊的、だけでなく、全ての理解は、ひたすらに時間を求める。
逆に言うと、時間さえ費やせば必ず理解は深まるようになっている。
その理解が生きている間に「完全」には至らなかったとしても、深化していくことだけは間違いない。

上述の挨拶は――
①霊たちが存在すること
②霊たちが自分を助けてくれていること
③霊たちがは私たちの言うことを聞いていること

2022/05/16

宇宙のことば45 蠍座満月

「自分のペース、自分の呼吸を失ってはいけない」
これは鉄則であるのだけれど、それは「自分が損しないように」とは違う。

自分が得するか損するかは、自分で選ばないといけない。
偶然得したり損したりしている内はいけないと思う。
なぜなら偶然得した時は良いけれど、偶然損した時に「ちぇっ」となるから。
その舌打ちが、不運と不幸の元なのだ。

自分の選択で自分が損するとはどういうことだろう。
例えば、助けたい・助けねばならない(と自分が信じる)人がいる。
その人を助けるには、自分が損をしないといけない。
その時に、自らを損を取るということを選択する。

「自分が損しないように」という考えがあると、そもそもこの選択は成り立たない。

2022/05/15

見返りを求めない心で②

見返りを求める心で事を為すと見返りはなく、しかし見返りを求めない心で事を為すと見返りがある。

これもまた、人生の法則。

だからと言って打算だけでは、見返りのない心は得られない。
見返りのない心は、あくまでも見返りを求めない、というだけのこと。
ただ相手のことを思い、そこに心を集約させて、欲目がふっと湧きそうな時にはぐっとこらえて、自分の根性を躾け直すことが必要。

相手が親でも子でもお客でも友達でも、いかなる時にも、見返りを求めない心で接することが出来たら、全ての時間は尊くなる。
失うものも何もなくなる。

2022/05/14

見返りを求めない心で

奉仕・貢献・恩返しには見返りを求めない心が必要だが、見返りを求めない心でそれを実行できた時、必ず見返りがある…という人生の法則。
逆に、見返りを求めて行ったことには見返りが伴わない、それで腹を立てる、というのもまた人生の法則。

私は長らく見返りを求める餓鬼の心で生きてきた。

しかし有難いことに年々それが薄まって、最終的に掻き消えた。
この方向に導いてくれた霊たちには感謝しかない。

霊たちは二つの経路で私たちを教え導く。
①思い付きによって
②他人の言動によって

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昨日のブログ、評判が良かったですね。 皆様のお役に立てば嬉しいです。 今日はお知らせです。 会員制のブログを始めます。 『遺書』の更に奥にある、この世界の秘密について語ります。 人によっては恐らく、 「一番知りたかったこと」を知ることが出来るでしょう。 その辺りのことを言葉にして...