2023/02/05

掃除3〜玄関

玄関の話の続きですが、脱ぐ時に、靴やサンダルの向きを揃える。
しかも混雑しているのでない限り、玄関に向かって丁度反対向きが良い。
90度の向きで靴を揃える人は割に多いのですが、180度の方が断然良い。
90度で揃える人は、「なぜ自分は90度にするのだろう?」と自問してみると、自分の心の癖に対して思わぬ発見があるかもしれません。
外出する時も、スリッパの向きを揃える。
つまり帰ってきた時に履ける向きにしておくということ。

これがなぜ大事なのかと言うと…
やってみると分かるのですが、家に帰ってきた時に、そのままスリッパを履ける。

「そのままじゃん!」と思うでしょうが、実はこれが掃除の基本的な姿勢のようです。
トイレ掃除も同様、次に使う時に気持ちが良い。ストレスがない。
これが意外に重要なのです。

別の言い方をすると、「未来の自分をお客として遇するつもりで」ということです。
客人が来る時、履きやすいようにスリッパを揃えるでしょう。
それと同じように未来の自分を扱うと、「次に気持ち良く使えるようにしておこう」と考えやすいと思います。

2023/02/04

掃除2〜玄関

トイレの掃除は習慣にしてしまえば簡単。
というのは、よほど本や新聞を持ち込む人は別として、トイレにはそもそも物が少ないし、空間も小さい。
しかしその他の部屋は物がいっぱいで、これらが適当な収まりどころを見つけていないために、話はだいぶ難しくなる。

トイレの次に玄関を見てみよう。
以前、私もそうだったのだが、靴がいつも土間に出ていた。
滅多に下駄箱にしまわない。
「また履くしな」と思うのだけれど、これがどうやら間違っている。

靴は理想的には、夜には下駄箱に入れて一日を終えた方が良さそうだ。
一応、風水的にはその方が運気が上がると言われている。
しかし逆境を生きる男おじじとしては、やっぱり「運気を上げたいから掃除」ではなく「自分の心を晴れやかに保ちたいから掃除」の方が、良いのではないかなあと思う。
勿論、そんなことは人それぞれで良いのだけれど。

ただ、これは重要なこと。

2023/02/03

掃除1〜トイレ

先日の真呼吸会で、掃除の話をした。
なかなか難しい…というお声。
そんな方の場合、とりあえず、トイレだけ、とか対象を一つに絞ってみると良いのではないかと思う。
「やはり毎日が良いですか」とのご質問。
毎日がお勧め。
というのは、このブログもそうなのだけれど、時々やるより毎日の方が楽だから。

例えば毎週日曜日には、と決めたとする。
すると日曜日に限って、用事が入って書けなかったり、日曜日に限ってネタが浮かばなかったりする。
「じゃあ明日…」
その明日が忙しい。
「次の日曜日…」
次の日曜日もまた用事が入る。
「ああ、書けない、何を書こう」と悶々として時間を無駄にする。
だったら毎日書くと決めてしまった方がいっそ楽。
という訳で、毎日ブログを書き、トイレも毎日磨いている。

2023/02/02

体の建て替え4

頚椎2番は言ってみれば、その人の苦しみの物語の最初の一行なのである。
だからそれを整える(しかしカイロプラティックのように外部的に物理的に操作するのではなく、あくまでも卒啄同時の精神で、非接触のエネルギーワークで行う。だから体を傷つけることがない)ということを、ヒーリングでしている。

還元論は好きではないのだが、頚椎2番から全てが始まる、と言うことは、まあそれほど誇大広告でもない。
「頚椎2番の緊張の程度」という起点から発して「α波になりやすい傾向」とか「β波になりやすい傾向」とか、はたまた「θ波になりやすい傾向」というのがあるのであって、この起点を認知せぬまま「モーツァルトを聴くとα波」というのは、間違ってはいないがちょっと浅いのである。

先日お話した「脳力」の正体とは「神と自分の関係における幸福感」のことだった。
α波の時、私たちはリラックスしていて、幸福感を覚えることが出来る。
だから「脳力」にいくらかα波が関わっていることは皆様も納得して下さることだろう。
そしてα波(を含む)の基礎には頚椎2番や頭蓋骨の状態がある。
従って、脳力拡張のためには脳に接する骨の状態がどうであるかということが重要になってくる。

2023/02/01

体の建て替え3

Uさんに首の立て替えがあった。
だからと言って、これは一度きりのことではない。
なぜなら生体というものはなまものであるから。
建て替えしたけれど、今回は上手く定着しなかったのでまた今度、ということもあるかもしれない。
多分今後も折りを見てあることだろう。

しかし頚椎を立て替えたからと言って何なのだろうか?
そこの所を、先日述べた「脳力」との関連で述べたいと思う。(復習はこちら

脳力というのはそれ自体で存在しているのではなく、体の諸機能と同じく他と関連し合っている。
ちょっとここの所を皆様にも非常に注意深く考え直してもらいたい。
例えば巷にはモーツァルトを聴くとα波が、みたいな言説がある。
実際、確かにそういうふうになっているらしい。
だがこの説明には重大なミスリードが含まれている。
それは脳波を脳波単独として捉えている点にある。
この「対象を単独で捉える」というのが現代人の思考回路の決定的な限界なのだ。

2023/01/31

体の建て替え2

ヒーリングの内容を決める権限は実は私にはない。
「この人にはこれ」というのはヒーリングエネルギーの出荷元が決めているので、私はそれを受け取って地球用磁気に転換して使用するのである。
(*繰り返す。そういう比喩、そういう説明の方便です。)

で、Uさんに対してはいつも「調整用ー首」というのが届くのだけれど、先日は「改造用ー首」だった。
何が違うのかと言うと、「調整」というのは日々の疲労や消耗、それに伴う緊張や歪みを整えることを意味するのだが、一方、「改造」の時は将来にわたって続く変化をもたらす。

という訳で、私はその通り伝えた。

「今日は首の建て替えです」

普通だったら絶対に理解されないであろうこんな伝達も、すっきり伝わるこしきマジック。

「ありがとうございます。

2023/01/30

体の建て替え1

ヒーリングを継続して受けられている方の多くは、私から伝えられるメッセージの内容がほとんど毎回同じであることにお気付きだと思う。
「今日は首ですね」とか「腰」とか。
それはなぜかと言うと、
①その箇所がその人の弱点だったり、
②他に比べて特に働きが多い場所だったり、または
③今現在治ろうとしている箇所であったりするからだ。

Uさんの場合も、ほとんどいつも「首」で、Uさんはある時こう仰った。
「毎回診て頂くたびに首を悪くしている自分、何とかならないかなあと思うのですが」

私の考えでは、こんなものではないかなあと思う。
首(特に頚椎2番)というのは感情や思考の状態を反映して揺れ動きやすい部分であるし、それに打たれ弱い。
別にUさんが首に対して悪い扱いをしているとは思わず、むしろヒーリングでもしなければ気付きもしない(しかし必要な)微調整を繰り返していることに深い意義があると思う。

2023/01/29

腰痛と私2

今回の私のように明らかに「計画的」な腰痛のようなものを何度も体験すると、人生に働いている謎の力を認めざるを得なくなる。
普通、人は「そろそろ腰痛の種が溜まってきたな。よし、今日から1週間休みを取って、これを症状化し、体のバランス回復と行こう」なんてことを考え付きはしないし、考えついたとしても実現するわけはない。
こういったことは体=潜在意識が勝手にやることなのだ。

多くの人は自分の人生に潜在意識が介入することを拒む。
というのも、そんなことになると直近の予定も人生設計も滅茶苦茶にされてしまうからだ。
しかしそれは事前の恐れであって、神のスケジューリングは常に完璧なのである。
もっともそれを完璧と知るには、いくらかの心の訓練も必要である。

例えば今回の腰痛にしても、「寝ていれば治る」と私は弁えていたので、別に不安になりも焦りもしなかった。
でもそれを知らなかったら「どうなるだろう」「大丈夫だろうか」「こんなことをしている場合では」「風呂にも入れない、掃除もできない」「次に予約が入るまでに治しておかなくては」と焦ってしまう。

2023/01/28

腰痛と私1

先日、大変な腰痛に見舞われた。
いわゆる持病で、10年ぶりくらいだったけれど、これで4度目である。
神経に針が刺されるような痛みが出るので、多分ヘルニアというものかと思う。
これが一度始まると1週間くらいは思うように動けない。
今回も4日は寝たきりで、寝返りを打つことすらかなり困難、階段の上り下りは手摺りなしには不可能という有様だった。
体も洗えないし、布団も畳めないし、料理もどうにかこうにかという所。
*今この記事を書いている時点(1月27日)では、ほぼ完治している。

去年の秋、二度発熱で倒れた(最初の1回はコロナだった可能性がある)。
2回とも満月の夜で、しかも仕事が終わった瞬間にーー文字通り、その瞬間にーー悪寒が始まった。
もうそれは見事なまでに完璧なタイミング。
今回の腰痛もまた、直前の用事が終わったら来た。
その後の予定表はほとんど白紙だった。
見るからに、怪しい空白。

2023/01/27

脳の秘められた機能について3

脳の秘められた力というのは、そう明瞭なものではない。
例えばあるにこにこと温和な顔をした幸せな人がいる。
その人は自分の呼吸、自分のペースを大事にして、いつも急がず、満たされており、誰を前にしても恐れないし、ぞんざいにも卑屈にもならない。
仕事は彼の望む所で、喜びをもってこれに望み、お金はあろうとなかろうと奢らず、心配もせず、暮らしぶりは内実において豊かで、趣味に恵まれ、悔いも隠し事もない顔つきをしている。
いつも感謝の心があり、滅多なことでは怒らない。
人のために進んで骨を折り、尊いものの存在や加護を信じている…

こういう人は、都会にも田舎にも、あらゆる場所に、少なからずいる。
これらの人は生まれ育ちが良かったのだろうか?
それもあるかもしれない。
しかし逆境からこのような在り方に行き着く人もいる。
だから過去の設定条件は措くとする。
現時点において何が起きているのだろうか?

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