2022/10/31

健全な心とは何だろう

またまた料理の話だが、Yさんがこんなメッセージを下さった。

「河邊先生、こんばんは。
今日、切り干し大根のおかずを真似して作らせて頂いたので、ご報告です。
味醂は入れすぎて、生姜は少なすぎて、人参は武骨な太さでしたが私なりに満足しました。
人参を刻む感触が可愛らしく感じて、こういう小さな恋しさが「お料理に入る愛情」の素なのだなと思いました。
家族に持ち帰れるヒーリングをして頂いていたのですね。
ありがとうございました。」

私の切り干し大根は、なぜか昔から非常に人気がある。
こんなにおいしい切り干し大根は生まれて初めて食べた、と何人の方から言われただろうか。

2022/10/30

人生の追い風と逆風と無風

最近、Aさんが比較的近場に引っ越してきた。
そして先日の新月で浄化が起き、倒れた。
40度近くに達したと言う。
先日自分もそれくらいの熱を出したばかりなので、これはどうにもお世話を焼いてあげたいと思い、お尋ねした所「河邊さんのご飯を食べたい」とのことなので、すぐにお作りしてお持ちした。
とても喜んで頂けてこちらも嬉しかった。

人生に起きることにはだいたいの目安がある。
それは「アタリは追い風、ハズレは逆風または無風」というものだ。

最近の私の場合、料理を仕事の真ん中に組み込んだことはアタリなのである。
だからお求めが続くし、とても喜ばれているのが分かる。

2022/10/29

内なる微細なズレは成長の出発点

心の健康状態は結局、体が大部分を握っている、という話を昨日した。
健康な心というのは、次のようなことだと私は考えている。
・過去を引きずらない
・感情に引きずられない
・邪念、雑念、悪想念を退けることが出来る
・欲求を支配し抑制することが出来る
・建設的、創造的な習慣を続けることが出来る

しかしまあ、こういうことは列挙しても必ず何か取りこぼしがある。
「身口意」については先日述べたが、とにかく全ては身口意という窓口から出てくる悪しき行いである。

「十善戒」というのも、以前ご紹介したことがある。

2022/10/28

言葉を超えて伝えたいこと

先日、Yさんがいらしていた時のこと。
料理をお出しし、Yさんが召し上がっている最中に、私は夜のお客様に向けてパンを捏ねていた。
その姿を見て、「河邊さんの動きは静かだ。それに比べると私は…」と仰った。

こういうことも、学びの種になる。
「落ち着いて、静かに」といくら言葉で言われても、言葉の及ぶ範囲は自分の持ち合わせの想像力の限度内である。
しかし自分より静かな他人の姿を見れば「ここまで静かに出来るのか」と、発想に広がりが出来る。

また掃除も念入りにしているつもりではあるのだが、その掃除が行き届いている様子にも目を留められ、こう仰った。
「大変じゃないですか、こんなに綺麗に保つのって」

2022/10/27

おじじの新たなる食世界

昨日お話したおにぎりのこと、Yさんが書いて下さったので是非お読みください。


このように感じて頂けて嬉しい限りである。

先日の発熱以降、体の感受性が良い方に変わったようである。

食に関して、より健康志向になった。


「え!既に充分健康志向だったと思いますが」と皆様に言われるが、まだまだだった。

今までは良い食材を使ってはきたけれど、それ以上のことは考えていなかった。

食養生で言う陰陽のバランスのようなことは全然考えの埒外だった。

恐らくは発熱による浄化のおかげで、これを体で分かるようになってきた。

マクロビオティックやビーガンの世界にどっぷり浸かる気はないのだけれど、そちらの方にやや近付いている。

2022/10/26

アトリエでごはん

昨日の蠍座の新月はやはり浄化の力が旺盛だった。
人生に大きな変化進展の見られた方、久しぶりにアトリエに来ることが叶った方、ヒーリングの効きがいつも以上に実感された方など、至る所、花火が上がっているかのような印象を受けた。
ただ念のため言っておくと、「そういう感じがしなかった私はまずかったか?」とはお思いにならないように。
人にはそれぞれのタイミングや流れがあるし、また重要なことに、深い変化は確実に起きているが表層レベルでは気付かないだけということもある。

最近の私の話。

アトリエご来訪時に食事をお出しするようになった。

2022/10/25

自分の愚かしさを知り、成長する

本日、蠍座の新月です。
癒しの波動にどっぷりと浸ってみて下さい。
とても濃いエネルギーに満ちている感じがします。
*****
さて、「身口意」について昨日書いたが、これは一人で心掛けるのも良いが、家族や仲の良い友達などに協力してもらうのも良い。
目標を例えば一つに絞る。
「私がため息をついたら教えてね。1回につき100円あげます」など。
ため息は行為なので、身口意の「身」である。
または「眉間に皺を寄せながら話し始めたら教えてね」など。
「口」に関しては「私が『どうせ』と言ったらデコピン1回ね」とか(←冗談ですよ)、具体的に絞ると良い。
なんとなく「癖のない人間になろう」などと願っても、無駄である。

2022/10/24

身口意の過ちを自らの意志で取り締まる

身口意(しんくい)という言葉がある。
身=行い
口=言葉
意=思考・感情である。

これは自分の心の3つの出口であって、これを自分で上手にコントロール出来るようにならないといけない。
そうでないと、屁を止められない肛門や、げっぷを止められない口のようになる。
こう聞くと「止めるべきものは止めないといけないな」と単純に理解することが出来るでしょう。

先日「湧いてくる思い自体はどうしたら良いでしょう」と尋ねられた。
そこで私はこう伝えた。

2022/10/23

服装から健康(不健康)に

皮膚疾患だが、かなり重度の方を数名診たことがある。
最終的には治った人もいるし、途中でご縁が途絶えてしまった人もいる。
生活スタイルや健康志向のレベルは人それぞれだったので一概に言えない。
基本的には「最終的には時間の中で治る」ということに尽きると思うのだが、待っている方はたまらない。
今の自分に言える範囲のことは昨日の記事に書いたのだが、ついでに放電についてお話しようと思う。

体にはいつも電気が溜まっている。
これ自体は普通のことなのだが、あまりにも溜まってくると体が冷えたり硬くなったりする。
気の「抜け」が悪くなるのである。
それでどう対処するかということは昨日書いた。

2022/10/22

皮膚疾患の排毒をどうしたら良い

排毒についてお便りを頂いた。
Kさんは先日、排毒があり(皮膚疾患系)、それが収まったのでヒーリングを受けられた。
ところがまだ予想に反して終わらず、まだ続いているとのこと。

「こんにちは。
ブログで排毒について取り上げていただき、ありがとうございます。
実は、ヒーリングをうけてから、さらに排毒が始まり、見た目と痒み、痛みがえらいことになっております。
排毒中の過ごし方など、こうしたら良いということがございましたら、ブログで取り上げいただけると助かります。
よろしくお願いいたします。」

実はあまり分かったようなことは言えないのだが、さしあたり以下をご助言したいと思う。
1.呼吸

2022/10/21

心の内に尋ねれば人生への評価が分かる

最近聞いた話によると、来年の運気は前年の10月から始まっているらしい。
なので勘の良い人は10月の自分の運気を感じて早々と来年の計画を立ててしまうのだとか。
皆様はどうでしょう。
私は…地味。
地味だが、良い感じに静まっているとも言える。

実はこの1か月間、甥が居候していた。
間もなく明けるのだが、その間に間近で若者の姿を見ていると、映し鏡となって時代や世代というものを感じることが多かった。
言うまでもなく自身の変化というものは緩やかに進行していくので、いつから自分がおじさん臭くなってきたのかは分からない。
しかし対比すると明らかに若者とは違うし、今の時代とも違う。
つい「今時の若い者は…」などという言葉が出そうになることも時々あるが、宇宙の下では全てが相対的である。

2022/10/20

新しい風景に向かって

前にもお話したかもしれないが、この仕事を始めた頃「ヒーリング」「食事」「宿」の三点セットでやりたいと思っていた。
しかし諸々の事情でそれは叶わず、ヒーリングだけに基本的に絞ってやってきた。
そうは言っても食事は何だかんだと出す機会がある。
最近は特に積極的にお食事を出すようにしている。
召し上がると何か得られるとの声を頂くからだ。
やはり喜んで頂けることはした方が良い。
という訳でヒーリングがお昼前後に被る方は、事前に仰って頂ければお食事をご用意します。

前から思うのだが、アトリエで緩み切った後、電車に乗って新宿を通るのは辛いと思う。
人によっては全然問題ないかもしれないが、結構つらいので新宿を避けて帰るという人もいる。

2022/10/19

体と仲良く生きるには

いかにも排毒らしい排毒はずいぶん久しぶりである。
なぜ今なのか?という理由は分からない。
こういう所には神秘的な力が働いている。
体は始める時には勝手に始めるし、人生は進む時には勝手に進む。
だからあんまり考えなくて良いのかもしれない。
症状が出ても少し休めばそれでおしまいということもあるし、そういうことの方が多い。
一方で今回の私のように「まだやりますか」という感じで、熱が引いてからもじゃんじゃん発疹を体内から押し出してくるということもある。
ふと気付くと腰や太腿辺りがいぼいぼになっていたりして大いに驚く。
痒いことこの上ない。
しかしだからこれが何なのかと言うのは、やっぱり分からないままなのである。

排毒というからには毒を溜め込んでいるのだ。
それはどのような毒だろうか?

2022/10/18

心の排毒、体の排毒

解熱後の発疹がまだ微妙に続いている。
太腿だけでは終わらず、腰や臍や胸辺りにもぽちぽち出てきた。
排毒である。
夜のトイレは昨晩も多かった。

一体どれほどの毒素を私たちは抱えているのだろう。
排毒に関しては私はかなり初期にやったが凄かった。
膿が溜まって両眼が開かなくなったことがある。
また足の甲も膿で2倍くらいに腫れ上がった。
勿論、衛生的に状態が悪かったのでそんなことになったのではない。
体の中に溜め込んだ毒素を、体は出す時は出す、というだけの話なのである(そしてやる時は実に過激である)。

ではその排毒というのはいかにして起きるのかと言うと、「覚悟が決まった時」というような理解である。

2022/10/17

本当に驚くまで驚くな

このたびの発熱は非常に興味深く、熱が引いてから色々出てくる。
ヘルペスに続いて、太腿にびっしりと発疹が出てきた。
それと尿意が夜に多い。
最近読んだ本から聞きかじった通りの解釈で良いならば、体の奥底から解放された毒素を肝臓が浄化して、尿として排出しようとしている…ということになりそうである。
発疹と言い、よほど体の深い所から洗っているようだ。
最近はハーブティーや食養生の方にほんの少しだけ関心が傾いていることもあり、この機に体と更に仲良くなっておこうと思う。

さて、またまたお客様から頂いてメッセージを掲載する。
真呼吸に対する理解が深まるのではないかと思う。

「真呼吸の本当の意味(に近いところ)を、本当に些細な仕事のやり取りの電話の会話で感じて、衝撃を受けました。

2022/10/15

己の状態を知る

雨の山中を歩く、変な生き物。

体と足並みを揃えたり、お尻を叩いたり

*明日瞑想教室です。

昨日、お客様から頂いたお便りを載せた所、「そう言えばこの『お客様の声』なるものを、暫くやっていなかったなあ」と思い出した。
皆さんにヒーリングの世界を知って頂くためには、山頂の隠者の独り言だけでなく、そこを尋ねた人の声も必要ではないかと思う。

そこで今日もお客様の声を引用させて頂くことにする。
遠隔ヒーリングをご依頼頂いたのだった。
皮膚疾患を持たれている方である。


「ここ数日皮膚から大量の毒素が出ていき、おそらくかなりの浄化になったのではないかと思います。

浄化の最後にヒーリングを受けさせていただけたらと思います」

2022/10/14

久しぶりに真呼吸の話

面白いことに、回復するのと同時に、唇にヘルペスが出来た。
25年くらいは作らなかった気がする。
また病み上がりに顔を洗ったら角質が剥がれ落ちて、部分的に子供の肌のようになった。
面白いものである。
何が起きたのであろうか。

今回の発熱の件はこれくらいにして、真呼吸についてご質問頂いたので、返答も含めてご紹介したいと思う。

「時々、呼吸がとてもしやすかったり、沢山吸えているように感じたりします。
満月の晩、首の付け根などに重苦しさを感じながらも、空気がスルスルと沢山身体に入ってくるイメージを感じました。

同じように意識して呼吸してみても、時々で違うのは

2022/10/13

おかげさまで、回復しました。

ようやく、回復しました。
私にしては3日もダウンするのはとても珍しかったです。
その間、皆様から沢山お気遣いを頂きました。
ありがとうございました。
またお返事はことごとく遅れがちになり、申し訳ありませんでした。
こちらもご容赦下さりありがとうございました。

高熱こそ出たものの喋ることは出来たし、呼吸も苦しくはなく、また回復もこの通り速かったので(当社比では遅いですが)、いわゆるコロナ的なものではなかったと思います。
なぜこの不調に見舞われたのか、ということについてはまだ答えが出ていません。

一般論としてお話すると、発熱は良いことです。
だから解熱剤は飲んではいけません。
(という意見を踏まえて、勿論自己判断ですよ!)

2022/10/12

昨日はご心配をおかけしました。
お気遣い下さった皆様にお礼申し上げます。
多分39度くらい出ていました。
ちなみに発熱だけの無症状なので、コロナではなく浄化とかそういうものだと思っています。
今だいぶ楽になってきましたが、大事を取って本日もブログをお休みさせて頂きます。

2022/10/11

本日はブログをお休みします。体調不良のため。
いつもご訪問ありがとうございます。

2022/10/10

牡羊座満月。内なる静けさと共に

本日は牡羊座の満月です。
この満月は何やら強力です。
「そういうことは事前に言って!」と言われるかもしれませんが、なってみないと分からないのが私。

――ただ今回は前兆があった。
一昨日の夜の月の力が著しく強かった。 
夜中に目を覚ますと、ほとんど月が私を凝視しているくらいに夜空に浮かんでいた。
そういう時は、無意識のレベルで、はっとするものである。

力というものは、静けさと共に感じることが多い。
今朝はとても静かである。
祝日の朝だから、ではなく、内側が静かなのである。

2022/10/09

時短やコスパに惑わされるな

明日は牡羊座の満月です。
新月ヒーリングのご用命を是非ともお待ちしております。

さて、「自分だけの方法をためらうな」という話を最近している。
なぜこの話をしているのかと言うと、例の食通の友人に、自分の独創性をとても褒めてもらえたからである。
いや常日頃、色々な方から褒めて頂いている。
しかしその人自身もかなり独創的である人に褒められたことで、「やっぱりこれでいいんだ」「これがいいんだ」と思え、それをあなたにも伝えたくなったのである。

ちなみにその友人は珈琲の生豆を手網で焙煎することに嵌っているらしく、その方法で我が道を究めんとしている。
「なぜ焙煎器を使わないのか?」という問いに対しては「いや、手網でやりたいんですよ。手網で焙煎器を超えたいんです」と言う。

2022/10/08

「自分だけのやり方」が人生を豊かにする

「セオリー通りではなく」ということについて昨日書いた。
これは小さな試みから人生丸ごとに至るまで関わる話である。
小さなセオリーは例えば「パンのおいしい焼き方」のようなものだ。
大きなセオリーは例えば「ある種の大学を卒業して、ある種の会社に就職して」みたいなことだ。

とりあえず卑近な所から話をした方が分かり易いと思うのでパンの話をしようと思うが、なぜ私はパン生地を「引きちぎる」方法を身に付けたのか、思い出せない。
20年ほど前に、一日だけパン焼きを習ったことがある。
多分、その時も引きちぎる方法は教わっていないはずだ。
しかしその後自分で試行錯誤する内に、自然と引きちぎる式になっていった。
最近パン焼きのスランプに陥り、ネットで調べてみた(エラソーなことを言って、この男もちゃんとネットで調べとる!)。

2022/10/07

セオリー通りではない面白い人間になろう

今時はセオリーが多い。
ネットの普及による影響は大きいと思うのだが、ちょっと調べるとやり方が出てくる。
例えば先日パソコンが重くなったので直し方をネットで調べた所、すぐに解決することが出来た。
まあこういうことはとても役に立つのだが、パンの焼き方について調べても、すぐに情報を得ることが出来る。
これをどう考えたものだろう。

勿論、最初はパンの焼き方なんて分からない。
だから誰かから教わらないといけない。
しかし同時に、「本当に自分では分からないのか?」と問うことは大事であるし、「正解じゃなくたって良いじゃないか」という思いもまた大事であると思う。

実は私のパンの焼き方はセオリー通りではない。

2022/10/06

言行一致を心がけよう

昨日は遅くまで友人と酒を飲みつつ語らっていた。
そんな時、私はいつももてなし役である。
料理を用意し、食事を共にする。
とても感覚の秀でた、またご自身もかなりの料理研究家である方なので、「ふむ…」と感心しながら召し上がって頂けるのが嬉しい。  
パンを食べては「これほど波動の整ったパンはないですね。一体プロは何をしているんだろう」、珈琲を飲んでは「この種類の豆をこんなに綺麗に淹れられる人はいないんですよ。だからこの豆はあまり使われていないんです」と心から褒めて頂いた。
また最近描いた絵を観て頂き、音楽を聴いて頂いた。
どちらからも「同じカワベさんの整った綺麗な波動を感じる」とのことで、話の合う人との時間はこのように格別なものである。

自慢話のようで気が引けるが、最近はYさんから次のようなお言葉も頂いた。

2022/10/05

体が変わっていく楽しみ

最近、赤ワインを飲むようになった。
人生初のことで、意外である。
私はワインはそれほど好きではなく、一年に二度か三度、白は飲んでも、赤は滅多に飲むことがなかった。
どちらかと言うと赤ワインは嫌いだったのである。
何だろう、この嗜好の変化は、と思ったが、最近読んだ本で「赤ワインには動脈硬化抑制の働きがある」と書いてあった。
そういうことは聞いたことがあったが、なるほど、と思った。

これまで物質レベルで生活改善をされてきた方々は体験からご存じかと思うが、体に良いものは体が良くなるほど好ましくなり、体に悪いものは体に悪くなるほど遠ざけたくなる、という法則がある。
赤ワインが体に良いかどうか…という話は措くとして、現在私は筋トレや有酸素運動によって、動脈をしなやかに改善しつつある過程にある。

2022/10/04

心が硬くなると、人生はどうなる

対人関係に恐怖があり、相手の不興を買わないようにジェスチャーや過剰な言葉などで煙幕を張って立ち回る。
こういうことをしていると、体にはどういう影響があるか?

体が硬くなるのである。

当たり前の話で、心が硬くなっている。
つまりいつも武装して警戒している。
その結果、単にストレッチが出来ないというような話だけでなく、内臓も硬くなるし、表情も硬くなる。
また声質も硬くなる。

硬くなるとどういう影響が人生に出るか?
同じ硬さ同士の者との縁が引き合う。

2022/10/03

人間関係の改善法

自分の中の動物的感覚を忘れないでいることが大事である。
人間同士で暮らしていると、人間専用のコミュニケーションの手垢がつく。
「ついた方がいいじゃないか、手垢」と思うかもしれないが、それによってじわじわと健康を損なっている。

これはその手垢をなくす・減らすことに成功した人は必ず分かるはず。
「ずいぶん会話の時頷き過ぎていたなあ」とか「間が持たないと思うと無理に喋っていたなあ」とか「いつも引き攣った笑いを浮かべていたなあ」とか。

そのせいで何を得たのかと言うと、それで成り立つストレスの多い人間関係や立ち位置だったのである。
本人は、それをすると人間関係が円滑に回ると思っていた。
そういうテクニックのつもりだったのである。
しかし実際には得ていたものは逆だった。

2022/10/02

再び、無用の顔芸や言葉や仕草をやめよ

人間は本質的に賢い。
というのは人間は本質的に動物だからだ。
動物は本質的に賢い。
ゆえに人間もまたその基礎を動物に置く限り、本質的に賢いはずなのである。

しかし実際には多くの人は愚昧である。
それはなぜかと言えば、私たちのもう一つの基盤に成り得る「人間臭さ」に毒されているからだ。

人間性と人間臭さは似て非なるものである。
人間性は理性や博愛の源であり、これは動物にはない。
敵をも赦すことは人間性にしか出来ない。

しかし人間臭さは人間性を貶めると同時に動物性をも封殺する。

2022/10/01

自分の中の人間を黙らせ、動物を喋らせる、という体の運用法

最近、とみに体のことについて語るようになった。
それまでは精神一辺倒だった。
と思いきや、Aさんに「いや、そんなことはないです。ずっと言われていました」と言われ、思い返してみた。
自分なりに考えてみるとこういうことだ。

「体のこと」と言うと、ある種のエクササイズとか食養生とかそういうことを考えがちである。
その点では私はほとんど何もやって来なかったに等しい。
しかし「体のこと」にはまた別の側面や切り口もある。

例えば日常的な動作の中でも無駄な動きが多かったりする。
歩き方一つを取っても、自分の体という袋の中に意識を密閉させて(←比喩です)歩くのと漫然と歩くのでは全く違うものになる。

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昨日のブログ、評判が良かったですね。 皆様のお役に立てば嬉しいです。 今日はお知らせです。 会員制のブログを始めます。 『遺書』の更に奥にある、この世界の秘密について語ります。 人によっては恐らく、 「一番知りたかったこと」を知ることが出来るでしょう。 その辺りのことを言葉にして...