2022/12/31

年末のご挨拶

毎年恒例のおせち作りが終わってようやく一段落。
例年より9時間も早い一段落です。

今年は10月から、ヒーリング/カウンセリング後に住居一階の居間に移ってお食事、というコースが定着し、毎回8〜9品の和食のお料理をご用意していたので、同じく8〜9品作るおせちももはや大したことはないだろうと思っていたら、やっぱり大したことはなかった。
しかも平素、和食を作る頻度が大幅に増えたことから、勘が以前よりもっと鋭敏に働くようになって、おせちレシピとも遂におさらば。
完全に自己流になったかと思う。
伊達巻だけは、流石に分量をレシピ通り計測しなければならなかったけれども。

今年は筑前煮に鶏肉を入れるのも、出世魚だということで鰤を照り焼きにするのもやめてしまった。
ほとんど菜食「趣味」者になってしまったので、「正月なんだから肉や魚を頂こう!」という気にもならない。

2022/12/30

振り返りおじじ2ー自分を受け入れる/拒絶する

今年もう一つの大きな変化は、精神の成長。
離婚という受難を頂いたおかげで、自分の至らない所がよく分かった。
苦しみを学びに変えるのに半年ほどかかったけれど、そこからは完全にスムースに事が運んでいる。

心のわだかまりを洗い流すこと、
悲観的にならないこと、
弱音を吐かないこと。
他人のせいや状況のせいにしないこと、
惰性に流されないこと、
いつも前向きに受容の気持ちを保つこと。
何より日々を大切に、そして体を大切に生きること。

これまでの人生で学び損ねた大切なことをあらかた学ぶことが出来た。
遅きに失したとは思わない。
まだまだこの精神と肉体で何十年も生きていかねばならないのだから。

2022/12/29

振り返りおじじ1ー料理のこと

年の暮れなので真面目な話もこれくらいにして、あとは適当に緩いことでも書いていこうと思う。

最近はとても調子が良い。
ご飯を出すようになってからだ。
何かこうリズムに乗っている感じがある。
勿論それまでに色々葛藤や試行錯誤を重ねてきたけれど、自分に出来て、自分が得られるものが、かちかちっと嵌るようになってきた感じだ。

私の料理を食べると皆とても喜んでくれる。
それが嬉しい。
ついでに、残り物を頂くので私の食卓もお陰様で豊かである。
そうでもないと一人暮らしの身では本当に食事がか細く最小限になるので。

と言ってもその「か細く最小限」も実際にはとても充実している。
一人の時はだいたい一汁一菜なのだが、これで非常に満ち足りるのである。
肉はおろか魚すらもほとんど頂かなくなってきた。

2022/12/28

精神、それから肉体の順番だ

最近、カウンセリングの仕事が多い。
中にはヒーリングのことを知らずに来られる方もある。

人によってヒーリングが必要かカウンセリングが必要かは異なる。
段階、状態、目下の問題によっても異なる。
勿論ヒーリングはとても有効なものではあるが、「現実を正しく解釈する目」を養うことはとても重要であり、それを可能にするのがカウンセリングなのだ。

先日も、珍しく生理が1週間ほども遅れていると仰る方があった。
しかしマッサージにもヒーリングにも限界があった。
これは私にしか分からないものの見方なのだが…変化の余地がなかったのである。
そういう時は何らかの指導や助言が必要になる。
その人の思考の枠組みを改変し、精神に新たな風を吹き込むことによってのみ、変化の余地は生まれる。

ヒーリング後に、ある指導をした。

2022/12/27

自分を赦し、しかし堕落せず

今年は夏前に10年分の大掃除をし、その後もマメに掃除を続けているので、年末大掃除は予想通り無し。
冬の日差しを楽しみながら、ゆっくりと毎日を過ごしています。

レコーディングは二枚目に着手し始め、こちらもゆっくりと順調に進んでいます。

草を食むように…という生き方が出来たら望ましい。
人には色々な生き方、在り方として色々な目標があるけれど、私の場合はとにかく急ぐことなく思い煩うことなく、今を楽しむことなのだ、ということが分かってきたこの一年。
この気付きばかりは、一人暮らしになったがゆえのこと。

やらねばならないことや、やった方が良さそうなことよりも、優先すべきは「やりたいこと」。
例えばそれが、寝ていることであったりすると、忙しい自分が出てきて「こんなに寝ていてどうするんだ…」とか、酒を飲む頃になると「酒を飲む前にもう少しできることがあるのではないか…」とか色々考えてしまう。

2022/12/26

毎日ちょっと頑張り、ちょっと背伸びする気持ちで

昨日と一昨日は体の健康を保つために体の感度を保つ、という話をしたけれど、これは実は人生の色々な場面に当てはまることでもある。
例えば家の中を歩いていると、埃の塊が落ちていたり、コンロに油汚れが溜まっていたりすることに気付く。
また洗面所に髪の毛が落ちていたり、風呂場の水垢が気になったり…

しかし、見なかったことにしてしまう。
いや、ちゃんと見たのだけれど、行動に繋がらない。
そして翌日見ると…やっぱり埃の塊は落ちているし、コンロに油汚れは溜まっているし、洗面所では髪の毛が、風呂場では水垢が私たちの目に留まるのを待っている。

こうして日々私たちの感度は落ちていく。
それはつまり見慣れた風景になってしまうということだ。

人それぞれ、見慣れた風景というものがある。
そして私たちはそれに従って自分の感覚を補正する。

2022/12/25

感度を保つためには

昨日の話の続き。
あ、メリークリスマス。

Mさん「そうですね。疲れはなかなか取れませんでした。定期的なヒーリング大切なんですね。

私「体は基本的にメンテナンスしないとどんどん疲れていくようになっているのです。
そのおつもりでお体を観察し、早めに対処されていかれると良いと思いますよ。」

Mさん「以前からですが、あまり自分の状態に目を向けず、気のせいだと考えることがほとんどなので、自分のことを少しずつ見直していければと思います。」

私の信条としては「ヒーリングを受けないとまずいですぞ〜」みたいな物言いで、勧誘したくない。

2022/12/24

感度を守れ!

年内の満月新月ヒーリングが昨日で終わりました。
満月新月ヒーリングを始めてもう何年になるか。
月の満ち欠けに歩みを合わせるという形で皆様の人生に深く寄り添わせて頂けて、有り難い気持ちでいっぱいです。
すっかり私も月の王子様ならぬおじさまになってしまった。
来年もよろしくお願いします。
来年最初の満月は1月7日です。
お知らせはまた年が明けたら致します。

さて、話変わって。

久しぶりに遠隔ヒーリングを受けられた方とのやり取り。

Mさん「体調は変わりありませんが、以前よりも頭痛などがある気がします。」

私「お体にはかなり疲れが溜まっているようです。ヒーリングの間隔が少し空いて

2022/12/23

山羊座の新月

昨日は冬至でした。
いかがお過ごしでしたか?
私はヒーリングに瞑想教室にコンサートと、平素の暇人の名声を返上して大いに働かせて頂きました。
演奏の方は過去最高の表現をすることが出来、ご参加下さった皆様のご反応から確かな手応えを感じることが出来ました。

エネルギーは内側から湧いてきます。
その内側は、外側と繋がっています。
宇宙に偏在するエネルギーは、いったん私たちの体の中に入り、筒の表と裏をひっくり返すような形で、今度は私たちの体から出ていき、宇宙にまた戻っていく。

そんなふうに理解しています。
またそんなことを深く感じられる昨日の演奏でした。

似たことは瞑想でも感じることが出来ると思います。

2022/12/22

本日冬至

本日、冬至です。
先程、気付いたのですが、下記のスケジュール欄において「冬至ヒーリング(遠隔のみ2000円)」と記載していました。
正しくは「遠隔のみ。通常価格5000円。特別価格2000円」です。
この特別価格というのは二至二分のヒーリング(今回の場合冬至ヒーリング)の前後に二回続けて満月新月ヒーリングを受けられている方が対象になります。
よって単発での冬至ヒーリングのお申し込みは5000円になります。
誤記、失礼しました。
「でしたら今回はキャンセル」という方はご連絡お願いします。

…しかも!
瞑想教室の価格も間違えていた。
大丈夫だろうか、私は…
しかしこちらは告知通りの価格で開催させて頂きます。
今回は、お得ということで!

2022/12/21

幸福論

幸せというものの本質はどうやら完全に内面的、主観的なものであるようだ。
つまり自分が幸せと思えば幸せだし、不幸せだと思えば不幸せだということである。
しかし現実には幸せは外形によってしばしば判断される。

その時のキーワードは常に「人並み」である。
皆と同じように生きていられれば、またはもっと野心的な人の場合、皆より優位に生きていられれば幸せだと感じる。
この発想は自然である。
群れる生き物にとって、皆と違う行動を取ることは死に繋がる。
はぐれる、爪弾きに遭う、生存競争から脱落する、など色々なリスクがある。

しかし人間は霊的な生物なので、動物の本能とは対立する精神を自らの意志によって構築しなくてはいけない。
で、幸せの話に戻ると、皆と一緒なら幸せ、というのは動物レベルの話なのである。
動物のことを私は軽んじている訳ではないし、低レベルだとも考えていない。
しかし人間はそれをやってはいけない。

2022/12/20

冬至は一年の隠れた始まり

冬至。
それは新しい始まり。

「始まり」というのは一年に何度かある。
私が思いつくのは
・冬至
・正月
・春分
・牡羊座新月

一つずつ説明していきたいと思う。
まず、冬至。
これは始まりではあるのだが、土の下に隠れている。
または枝についた蕾として春の訪れを待っている。
そういうものだから、外から見てそれとはなかなか分からない。
しかし例えて言うなら、歌手や選手にとっての始まりは、「観客にとっての始まり」より常に先んじている。

2022/12/19

低レベルな人との関わり方

「自分より低レベルな人とは関わりたくない。そういう人に足を引っ張られたくない」という思いを持つ人もいつかもしれない。
まあ、気持ちは分かる。
しかし間違っている。
なぜか?

その考えをあなたが持つ場合、あなたはあなたより高レベルな人と接点を持つ資格を失う。
だって、あなたより高レベルな人は当然こう思うだろう。
「自分より低レベルなあなたと関わりたくないよ」と。

自分が他人に対して思ったことは、必ず他人があなたに対して思うことになる。

尊大や傲慢になってはいけない。
しかし人生の態度や人格の練度によって、確かに「レベル」というものは存在する。
自分より低レベルな人はいる。
一方で、高レベルな人もいる。

2022/12/17

レコーディング(1)が終わりました。

レコーディングですが、ひとまず一つ目が終わりました。
一つ目、というのは、全33曲を三分割することにしたからです。
33曲同時に相手をすると終わりそうにありませんでした。
二作目、三作目は年明けてまた挑戦したいと思います。

で、当初itunesでの配信を考えていたのですが、こちらの要望に見合う代行サービスを経由すると配信までに1ヶ月かかるとのこと。
今年の内に終わらせたかったので、SoundCloudに先行して挙げることにしました。
お金が発生しない分、ここは即日。
皆様も無料で聴けます。
よろしければお聴きになって下さい。

リンクはこちらです。
名前が違いますが、中身は私です。

人生は幸せを実現する場所…ではない!

人生を何と心得るかによって、体験の解釈は丸っきり変わってくる。
人生を何か「幸せを実現する道程」と勘違いしている人たちが多いようなのだが…

人生は修業をする場所なので、幸せなぞはどうでもよろしい。

はっきり言って、幸せなどを望む前にやるべきことが沢山ある。
宇宙の諸先輩方からしたら、それが人間に言いたいことだ。

「でも、幸せになっている人もいるじゃないですか」
答:他人は他人です。

極端な例え話をしよう。
二人の人が牢に入った。
一人は自己反省し、自己改革に努めた。
一人は「いやあ、牢獄も結構楽しいですよ」と呑気に過ごした。

2022/12/16

あくまでも柔和な顔を貫く

「怖がらない」という話をしたが、昨今では勿論、コロナが私たちの恐怖を酷く刺激した。
で、世の中全体の波動が重くなった。
今も重い。  

波動というものは上下に伸びる物差しである。
恐怖は低い波動現象なのだ。
あらゆる災厄や諍いや病気や悶々や鬱や不調は低い波動から生じる。
世の中の人々を一纏めに恐怖に陥(おとしい)れれば、丸ごと低波動化することが出来、一網打尽にし易い――電気ショックで小魚たちを失神させるように。
上手く考えたものである(誰が、って言うのは言わないよ)。

そんな中、仕組まれた恐怖に対して「ちょっと待てよ」と思う御し難い人々はいまだにワクチンを打っていない!
「怖くないのか!」
お化け屋敷に入っていながら「いや、これ仕掛けだから」と涼しい顔をしている、まことに迷惑な連中である。

2022/12/15

「怖がらない」が人生ゲームの鉄則

昨日、「人生ゲームは下の方に行くほど泥仕合」と言ったが、逆に上の方に行くとすっきりしてくる。
生きている限り、嫌なこと、理不尽なこと、怖いことは起きる。
しかし上のステージまで達した人々はその度に内省することが出来る。
「待て。すぐに感情的に反応するな。そして脳内のお喋りをやめろ。落ち着いて無心になれ。心を揺らがすことなく状況または相手と対峙せよ」と自分に言い聞かせることが出来る。
下の方にいる間はこれが出来ない。
状況にぐるぐるっと巻かれて身動きが取れなくなってしまう。

人生ゲームのステージアップの基準の一つはどうやら「怖がらない」ということのようである。
私たちの人生には怖いことがやたらと起きる。

2022/12/14

人生ゲームの進め方

人生は本当にゲームのようになっているので、やり方が分かるとどんどん進んでいく。
「進んでいく」というのは、ゲームの質が上がってくる、人格が育っていく、潜在的能力や可能性が発揮されるようになってくる、という程の意味だ。
この人生というゲームは下に行くほど泥仕合になる。
お互いに「あいつが悪い」と言い合う風景となる。
または「あれさえあれば幸せなのに」と言う風景。
「あれ」は人によって、お金、健康、美貌、人脈、能力など様々である。

まずはこの泥仕合ステージを脱することが重要である。
これが済まないことには人生ゲームは進展しない。
自分にとって全ての苦境は、自分を成長させるため、自分を見詰めさせるために用意されている。
だからお金がない状況というのは「お金がない状況を通して、自分の揺れ動き易い、人のせいにし易い、人生を呪い易い精神構造に気付き、直せ」と神があなたに言っているのであって、これが万一あなたの望み通りにお金に恵まれたらどうなるか?

2022/12/13

心の深い体験を聞く

Aさんからのメッセージ。
「先日断捨離をしている時に、20年程前の新聞の切り抜きが出てきました。今見ても心ひきつけられる写真でして、写真集の1枚である事が分かり図書館で借りてきました。内容を知らずに借りたのですが、エチオピアの写真集でした。内容は悲しい飢餓の写真と、キリスト教徒の信仰に纏わるもので、見ていると心に突き刺さり響くものがありました。私に縁深いもの、若しくはそれに似たものを私の魂は経験していると感じました。20年前の私が現在の私に送ってくれたメッセージ、今の私だから感じ出てくるものがあり、何かに繋がっていく。何だか不思議な体験でした」
読むからにとても深い体験をされたようです。
過去に落とされた水滴の波紋がようやく現在に追い付いてくるようなこの感覚、実は私も最近味わっていたのです。
丁度数日前に友人もまた、似たようなことを言っていました。
そういう時期なのかもしれない。

2022/12/12

神様の宿題に答えていますか

昨日の話を続ける。

ほとんど全ての問題は自分が変わることによって解消される。
あなたは2+3の答えは分かるかな。
分かるなら、あなたにこの問いを出す必要はない。
先生は当たり前にそう考える。
でも2÷3の答えは分かるかな。
もし分からないなら、先生はこの問題を何度か出すだろう。
で、この問題を解けるようになったら、同じレベルの問題はもう出さないだろう。

先生というのは、神であり、天である。
あなたに出来て当たり前の難題、そして今のあなたには解けるはずのない難題を、天は決して出さない(小学生に微分積分をやらせようとは思わないだろう)

2022/12/11

人間関係の苦しみは神の賜物

先日こんな話をした。

人の縁というものには色々な形がある。
嫌な人、迷惑な人だからと言って、縁が切れれば良いというものではない。
勿論、常に必ず縁を切ってはいけないと言っている訳ではない。  
縁を切って前に進むべき場合もあれば、そうではない場合もある、という話だ。

私たちは対人関係において、つい生身の相手のことを見てしまいがちである。
「あの人が…」と。

これは根本的に間違っている。

神を見なさい。

私たちは未熟だから人間の身で生まれてきたのである。

2022/12/10

魂の自己像を探して

先日ある女性のお腹を揉んでいた時(ヒーリングで、ですよ)、面白い感覚を得た。
私はオーラの色が見えるというようなタイプではないのだが、その方のお腹の中がピンク色だった。
とても幸せそうな色だった。
なぜ面白いと感じたのかと言うと、ご本人は自分自身を中性的か割に男っぽい性格だと思っていらっしゃることを知っていた。
しかし肚は本当の姿を示している。
「この人はこんなに女性的で繊細、そして幸福感に満ちた人だったんだ…」と深い感慨に包まれた。
これは魂の色のようなものである。

人の身で生きる上では否応なく性別がついて回る。
その上、色々な現実的要請があり、魂レベルののほほんを実現することはとても難しい。

2022/12/09

冬至のお知らせなど

昨日の満月は充実した気に満ちていました。
そして前二回の満月では酷い目に遭いましたが、今回は無事です。

昨日の満月はちょっと不思議で、言語的コミュニケーションを司る双子座の満月だというのに、言葉が出て来ない。
遠隔ヒーリングの所見をお伝えすることになっているのに、困った。
それで正直に「どうも、出来ない」といくらかの方にお伝えした後、来た(毎度のパターン)。
それは一言メッセージ。
それが昨日、双子座の神がやりたいことだったらしい。
それで、お伝えしました。
(第三者へのご依頼の方には、メッセージがないのでご了承下さい。)
新しい自分の在り方を模索する上での指針にして頂ければと思います。

2022/12/08

双子座の満月のメッセージ

数少ない通いの飯屋に行った。
話しかけられたので、隣に座ったおじさんと少しだけ言葉を交わした。
白髪の多分60代後半から70代くらいの男性である。
とても綺麗な目をしていた。
こんな目の人は女性でもそうなかなかいるものではない。
暫くはマスターを挟んでカウンターで取り留めもない話をしていたが、その内、遂に私は気になっていたこの男性の仕事を尋ねた。
「画家です」
マスター「しかも有名な方ですよ」
聞けば国内外で活躍されており、その作品は様々な小説の表紙なども飾られているとのことだった。

尋ねて良かった。

2022/12/07

小さな習慣を積み重ねると…

結局、人生とは自覚の有無の反映である。
何をいきなり言い出したのかと言うと、数年前まで「うちはまあ日頃から掃除しているから年末の大掃除の必要は特にないな」なんてことを平然と言っていた。
今の私がそれを聞いたら「何を言っているんだ、ほれ、ここ」「ここも」と指差しが止まらないはずである。
今の私には明らかに落第点のものが、過去の私には合格点だったのだ。
というわけで、人生とは自覚の有無の反映なのである。

健康にしてもそうだ。
「私?健康です」と思っているが実際には健康ではない、ということもある。
幸福にしてもそうだ。
「私?幸せです」と言っているが顔が引き攣っている(そしてそのことに気付いていない)ということもある。

2022/12/06

月の満ち欠けに同調する生き方をしよう

いよいよ明後日は今年最後の満月である。
双子座の満月なり。
私は前二回の満月、著しく体調を崩したので今回は無事であることを希(こいねが)う。

皆様は今年一年、満月と新月のリズムを感じることが出来ただろうか。
それぞれの満月新月は黄道十二宮のいずれかで起きるから、なにがしか確かに「その星座っぽい」ことが見て取れることもある。
牡羊座の時は怒り爆発!とかそういうようなことだ。
しかしそれ以上に、やはり月の満ち欠けそれ自体が私たちに大きな作用をしている。

とは言えその作用というものは例えていうなら粗食の味わいのようなもので、濃い味の人には決して分からないものである。
テレビやネットに現を抜かし、人間関係や仕事関係でイライラあくせくし、体に悪いものばかりを食べている――そんな生き方だと、月との同調というのははるか遠くのことだと思う。

2022/12/05

蝶形骨から幸せへ

私という人間は毎日生まれ変わっており、世界もまた毎日新生している。
今日を昨日の続きと考えるか、全き新しき日と考えるか、ここに人生の幸不幸を左右する分かれ道があると思う。
幸不幸は重要な問題ではない――と私は日頃言っているが、それは客観的な物差しで見るカタチとしての幸不幸であって、自分の人生、そして自分自身に関しては「幸せ」を実感できていた方が良い。
これは間違いのないことだ。

いつかどこかで読んだことで、詳細は確かではないのだが、心に残っている知識がある。
それは、私たちの脳の中心にある蝶形骨は毎秒、毎瞬ごとに宇宙の中心から届く波動を受け取っているというのだ。
(正しく言えば「受け取り得る」のだ。
そのためには喜びや無心や瞑想と言った、忘我の状態が必要である)

2022/12/04

知識、情報といかに関わるべきか

姿勢の話の続きなのだが、色々と語られる姿勢関連の話にはどうも間違いが多いような気がする。
例えば先日、お客様とお話している時に、「腰痛を取り除くには脚の筋肉をつけないといけない」ということが一般的に言われていると聞いた。
で、私はそれは無いと思った。
そういう時の考え方の基本は、脚の筋肉があっても腰痛の人もいるし、逆に筋肉があまりなくても腰痛の無い人もいる、という現実に着眼することだと思う。
勿論、物事にはいつも例外があるから、一色塗りの断定をすべきではないが。

体に起きる現象には諸々の要因が働いているからこそ諸説がある。
色々本を読んだりして学んできた所、どんな説に対しても、一理ある、と思う反面、いつも必ず「そうとばかりは言えないだろう」という保留が私に残る。

腰痛に関しては基本的に、上半身の歪みを受けてのこと、と考えるのが多分自然だと思う。

2022/12/03

おじじ流、良い姿勢の作り方

「カワベさんは姿勢が良い」とよく言われる。
有難いことである。
以前、私は姿勢が悪かった。
11歳くらいからスポーツもやらんでひたすらファミコンと愛機としたような子供がすべからくなるであろう姿勢――すなわち、胡坐をかいて、背中を丸め、首を前に突き出している――を必然の結果として得ていた。
そんな自分が姿勢を正すようになったのはほんのこの4-5年くらいのことだ。
で、今では見本みたいに思われている。
もっとも依然結構な巻き型であるし、決して見本とすべき姿ではないのでお間違いないように。
とは言え、間違いであっても何でも、見本と見なされているのは事実だから、助言をさせて頂こうと思う。

良い姿勢なるものの要諦なのだが、「気合」なのです。

2022/12/02

自分と対峙し、自分を成長させる

レコーディングを始めて正味1か月が過ぎた(と思う)。
いよいよ終わりは見えてきたがこのトンネルはまだ先が長い。
ようやく出口の光が見えた、というくらいの所である。

そう言えば、以前高尾山の麓を歩いている時に、長いトンネルに入った。
よく見るトンネルと違って電灯がない。
出口の向こうに見える光以外、全くの暗黒なのである。

そこを歩いているととても不思議な感覚に襲われた。
後ろに向かって歩いているような感じがしたのだ。

よくある錯覚のパターンの一つだと思う。

創作という営みにも似た所があるように思う。
あるいは自分を見つめるということにも。

2022/12/01

色々なものに心が宿っている

色々なものに心が宿っている。
本当はきっと「どんなものにも」なのだろうが、まだそこまで実感が伴っていない。
だから今の所は「色々なものに」ということにしておく。

最近、それを音楽について感じた。
自分の曲を今、録音している。
全部で30曲くらいある。
過去に作り溜めたもので、楽譜の中と頭の中には保存されているのだが、人が聴こえる形にしていないものが多い。
それで芸術の秋だからと言うのでもないが、まとめて形にすることにしたのだ。

現在なかなか良いところまで来ており、そろそろ終わりも見えてきた。
しかしこの最終段階に入るある日、楽曲たちの反逆に遭った。

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会員制ブログ新設のお知らせ

昨日のブログ、評判が良かったですね。 皆様のお役に立てば嬉しいです。 今日はお知らせです。 会員制のブログを始めます。 『遺書』の更に奥にある、この世界の秘密について語ります。 人によっては恐らく、 「一番知りたかったこと」を知ることが出来るでしょう。 その辺りのことを言葉にして...