真呼吸のすゝめ
本当の自分に出会える真呼吸(しんこきゅう)。
――それは、「呼吸を感じる」ということ。
そんな当たり前のように思えることを、わざわざお伝えするのには理由があります。
はじめまして。ヒーラー・カウンセラーのカワベマサノリです。
まずは以下の3つの例を紹介させて下さい。
一人目は感受性の良さそうな女性。
明るく朗らかで人当たりの良さそうなタイプの人でした。
しかし私はお話を聞きながら、「この人は心の奥底ではいつも頑張って、一生懸命人に合わせようとしているんだろうなあ」と感じていました。
話を聞くより、これは体の声を聞いた方が良いと思い、私は呼吸を感じるように促しました。するとその瞬間、その人はほとんど同時に泣き出したのです。
何が起きたのでしょうか?
自分の内側に意識を向けたことによって、緊張の糸が緩んだのでした。なぜ急に泣き出したのか、自分でも驚いていました。しかしひとしきり涙を流すと、とても晴れやかな顔になりました。
私たちはいつも「何々であらねば」「何々をせねば」と思い、自分を追い立てています。本当は誰だって緊張なんてしていたくはありません。でも実際には緊張しないで生きることは難しいものです。どうしたら緊張しないでいられるかも、分かりません。そうやって無理な仕事や無理な人間関係を続けてしまうのです。
しかしいつかいつかと待っているだけでは、リラックスの時はやって来ません。
どうしたら緊張を一時でも緩め、リラックスすることが出来るのでしょうか?
それは内側に心の目を向けることによって、です。
「内側に心の目を向ける」と聞くと、なんだか漠然として分かりにくいと思いますが、簡単なことです。ただ呼吸を感じれば良いのです。なぜなら呼吸は体の「内側」で起きているのですから!
呼吸を感じることには、このようなリラックス効果があります。
二人目は悩み多き女性です。「今日は色々お話したいことがあって」と私のヒーリングサロン、アトリエこしき
に来られました。
しかし向かい合って時を過ごすことしばし。待てど暮らせど何も出てきません。
アトリエで落ち着いた時間を過ごす内に、私の呼吸の深さに釣られて一緒に呼吸が深くなっていったのでした。
遂に女性は笑いながら言いました。「何を悩んでいたのか忘れてしまいました」
「それは悩まなくて良い悩みだったのではないですか」
「はい、そう思います。多分、頭がフル回転で考えすぎていたのだと思います」
その表情はにこやかでした。
この簡潔な出来事が示すのは、呼吸が浅いと私たちは雑念の虜になりがちだということです。
一方、呼吸が深くなると、どうでも良いことはどうでも良いこととして、思い出すことさえ出来なくなってしまうということです。
これほど簡単な悩み解消法はないでしょう。
これは単に、目の前の問題を忘れるということではありません。
雑念や妄想でしかない自問自答や悩み事はエネルギーの無駄遣い。まずはそれを深い呼吸でふるいにかけて、それでもなお残る問題だけを集中して考えれば、もっと効率が良いはずです。
三人目はプロのジャズピアニストの男性です。
前腕が痛くて演奏に支障があると困っていました。もちろん、マッサージその他の処置をするという手もあると思います。しかし演奏中に腕が痛むというのは、そもそも腕の使い方を間違えているからだと思います。私はピアニストではありませんから、正しいピアノの弾き方など教えることは出来ません。
しかしどんな技術にも通じる正しい方法はたった一つだけあります。
それは「呼吸を感じる」ことなのです。
プロに弾かせるには安物でしたが、アトリエの隣の部屋に電子ピアノがあったので弾いてもらいました。やはり痛いと言います。それで私は演奏しながら呼吸を感じるように促しまた。すると…
「痛くない!」
彼は驚いて言いました。
このことから分かるのは、呼吸が浅いと身体運動に必要以上の負荷がかかり、機能障害が起きたり痛み易くなったりする、ということです。
以上、3つの例をご紹介しました。
なぜ「呼吸を感じる」という、ただそれだけのことで以上のような変化が起きたのでしょうか?
振り返りますと、この3人のケースは、3つの分野で起きていたことが分かります。
【感情面】奥深くからリラックスした
【思考面】思考から雑念がなくなり明晰になった
【身体面】体から過剰な負担がなくなった
逆に言うと、この3人は、真呼吸以外の方法ではそれまでにどんなに
「リラックスしよう」
「あれこれ思い悩むのはやめよう」
「体に無理なく演奏しよう」
と努力しても、成果が出なかったのです。
しかし、「呼吸を感じる」ということが、これらの変化を引き起こしました。
そしてこのような変化はあなたの体、心にも必ず起きます。
1.呼吸の浅い人、深い人
私たちは生きている限り、誰もが呼吸しています。
呼吸の役割は酸素を取り入れることです。その酸素が血液によって全身の隅々まで運ばれ、各所のエネルギー源となります。
酸素が足りないと酸欠状態になる――これは誰でも知っていることですが、私たちはそそこから、眩暈や失神といった劇的な症状だけを連想してしまいがちです。
しかし実際には多くの人が慢性的に酸欠なのです。あくまでも私の主観であって調査を採った訳ではないですが、私が知る人、出会う人の内、酸欠状態でない人は10%かそれ未満です。
でもその人たちが眩暈やふらつきを患っている訳ではありません。だから酸欠だという自覚もないでしょう。
一体私は何をもって彼らを酸欠だと言うのでしょうか?
そのためには、以下をチェックすれば良いのです。
・姿勢は良いか。
・声と仕草は、静かで無駄なく落ち着いているか。
まず姿勢ですが、どんな姿勢でも呼吸は出来ます。しかし肺が充分に膨らむのに適した姿勢は限られます。猫背である時点で、肺の動きにはかなりの制限がかかります。
試しに胸を大きく開いて、上を向いて、無理せず自然な量、鼻から息を吸い込んで下さい。
次に背中を丸めてうなだれて、同じく無理せず自然な量、鼻から息を吸い込んで下さい。吸い込める量も、吸い込む時の快適さも、違うでしょう。主観によって人それぞれだと思いますが、背中を丸めうなだれていると50%から70%くらいに落ち込むと感じませんか?(だから長時間スマホを覗き込むような行為は要注意です!)
姿勢の悪い人は恒常的に酸欠状態と言えるのです。
次に声と仕草ですが、酸欠状態の人の挙動は往々にして騒がしくなりがちです。
・声が高い、硬い。発声が速い。
・顔を触りながら、手や指を動かしながら、必要以上に頷きながら話をする。
これらの特徴は酸欠状態の結果であり、また酸欠状態を更に進める原因ともなります。
「でも声質なんて変えられないものじゃない?」と思うかもしれません。
確かに、生まれついて高い声の人もいれば低い声の人もいます。はきはきした声の人、くぐもったような声の人、色々です。
しかし真呼吸をすると誰もが「当社比」で、低く、柔らかく、遅くなるのです。
また「仕草だって、人それぞれの表現じゃない?」と思うかもしれません。
しかしやはりこれも同じで、真呼吸状態では、身振り手振りは大幅に少なくなります。
私たちは酸欠状態にある時、それが苦しいのであたかも藻掻くかのように、不必要な身振りや手振りに頼ることになるのです。
その人の体に酸素が足りているかいないかを知るのに、数値を見る必要はありません。姿勢、声、仕草を確認すれば分かるのです。
あなたも今日から、自分も含めて、目に映る人の姿勢や声や仕草を観察してみて下さい。
2.呼吸の浅さ/深さが、健康も人生も左右する
誰もが呼吸をしている。しかしその呼吸が浅い――その結果、どのようなことが起きるのでしょうか。非常に簡素で身も蓋もない言い方になってしまいますが、「全部の悪いこと」です。つまり体の問題も心の問題も、人間関係も将来の不安も何もかもです。
と言っても、全ての症状や問題の原因が唯一、酸欠状態にある、と言っているのではありません。
ほとんどの場合、あらゆる症状や問題は複数の原因から作られます。そしてその原因の内の大きな一つは必ず酸欠状態である、という意味です。酸欠状態は様々な問題を創り出す土台のようなものなのです。
例えば同じ運動や労働をしても、慢性的酸欠状態の人は、酸素が足りている人に比べて回復が遅いです。またその運動や労働によって筋肉や関節を痛めがちです。
風邪を引いても怪我をしても、または手術をしても、酸欠状態の人は回復が遅いですし、解決できないままかえって状態を悪化させるということもあります。
思考と感情面ではどうでしょうか。
酸欠状態の人は否定的、悲観的になりがちです。感情の浮き沈みが激しく、自己嫌悪や無力感に苦しみます。また落ち着いていることが出来ず、暇を埋めるために絶えず動き続けます。
一方酸素が足りている人は、肯定的で大らかです。長いサイクルの中で出来事を観察することが出来、自分の一喜一憂で自分や他人を振り回しません。そしてゆっくりと味わい、ゆっくりと楽しむという、豊かな人生観を持つことが出来るようになります。
人間関係や仕事においてはどうでしょうか。
酸欠状態の人は、対人関係に自信を持つことが出来ません。人と一緒にいると落ち着かず、正直で可愛げのある会話が出来ません。仕事においてもゆとりをもって動くことが出来ず、喜びややりがいを見出すことが難しくなります。
一方、酸素が充分に足りている人は、いつも人間関係に心の余裕を感じることが出来るので、自然とサービス精神や誉め言葉や感謝が豊富になります。必要とあれば謝ることも全く難しくありません。簡単に言って、好かれる人です。だからこのような人の人間関係は円満で上質です。仕事でも同様に、余裕を持って働くので、信頼され、自分のペースや判断を尊重してもらえるようになります。難癖をつけられたり虐められたりすることは起きません。
このように、呼吸が浅いか深いかというだけの違いで、人生の風景は丸ごと違ったものになるのです。
3.深呼吸ではなく、「真呼吸」
呼吸の質が人生の明暗を分けるということをお話しました。呼吸が大事だということはこれで充分お分かり頂けたと思います。
なるほど確かに呼吸は深い方が良いと考え――多くの人は「やっぱり深呼吸だ」「呼吸法だ」だと思います。
しかし私は深呼吸と呼吸法には大きな欠点が二つあると思います。それは
①
ON/OFF制になっている
②
体のペースを無視している
ということです。
それをこれから説明しましょう。
①
深呼吸(呼吸法)第一の欠点――「ON/OFF制になっている」
「さあ深呼吸をしよう」と言って、あなたはどうしますか?
肺一杯に息を吸い込むことでしょう。なぜなら息が詰まるような現実を生きてきたのですから。酸素を沢山取り入れるのはもちろん結構なことです。
しかし問題はその後のことです。
あなたはその深い呼吸を続けられますか、仕事中に、会話中に?
答えは間違いなく、否でしょう。
つまりこれは「深呼吸」スイッチを一時的にONにしたに過ぎません。
日頃、呼吸も忘れて頑張って生きて、疲れ果てて、週に一度か、月に一度か、年に一度、山や海に出かけて心行くまで深々と呼吸する――と言ってもすぐ飽きるのでせいぜい2回か3回ですが。そして再び、息の詰まる現実に帰っていきます。何も変わらないまま、何も変えられないままです。非効率的ではないでしょうか。
それより、普段の暮らしの中に深い呼吸を平然と混ぜ込んでいってしまった方が、はるかに理に適っているのではないでしょうか。
呼吸法も同様です。「さあ呼吸法だ」。それで癒されるのは結構ですが、仕事中に、会話中にそれが出来るのでしょうか。まず出来ないでしょう。
あなたの望みはどちらでしょう?
・呼吸を忘れて人間関係で疲れ果て、呼吸法で自分を癒やす人生
・呼吸を忘れず人間関係を楽しみ、そもそも疲れない人生
きっと答えは後者でしょう。
②
深呼吸(呼吸法)第二の欠点――「体のペースを無視している」
多くの呼吸法は「吐き切る」とか「何秒(何カウント)吸って、吐く」とか言います。確かに一見、分かり易い指南です。
しかしここには根本的な誤解があると思います。
呼吸というのはそんなふうに、自分であらかじめ用意した枠の中に納めるべきものでは本来ないのです。
後ほど真呼吸の方法について解説する中で詳しく述べますが、体は高度な知的生命体であり、無限の自主性と柔軟性を備えています。
あなたは今、酸素を混ぜ込んだ血液がどれくらいの量、どの器官や組織に向かうのが正しいか、知っていますか?
もちろん、知らないでしょう。
しかし、体は知っているのです。完全に把握しているからこそ、あなたが切り傷一つ作っても、そこは必ず治りますし、食事をすれば胃に血液が集中するのです。完全自動操縦で、です!
この大いなる知性を超えて「いくつ吸っていくつ吐く」というようなことを、本当に私たちはする必要があるのでしょうか? 私たちよりはるかに賢い「生命の師」に委ねた方が、よほど上手く行くのではないでしょうか?
つまり要約すると、深呼吸と呼吸法は
・自分が思いついた時だけそれをして
・しかも体のペースを無視する
という、同僚や家族にいたら一番迷惑なタイプの人がやりそうなアプローチを当たり前のこととしている訳です。
それで私はここに第三の呼吸を提唱します。
それが「真呼吸」です。
まとめ 三種類の呼吸
1.浅い呼吸
2.コントロールされた深い呼吸
3.コントロールしない深い呼吸=真呼吸
4.真呼吸の方法
真呼吸とは何か? 一言で言えばそれは「感じる呼吸」です。
何を感じるのか? 呼吸に伴う肉体の動きを、です。
さっそく感じてみましょう。読みながらで結構です。
鼻から息を吸ってみて下さい。
どこが動いていますか?
どのように動いていますか?
鼻から吐いてみて下さい。
どこが動いていますか?
どのように動いていますか?
そして次が重要な問いです。
あなたは日頃、このように呼吸を感じたことがありますか?
深呼吸と真呼吸では、呼吸に対する態度が180度違います。
簡単に言うと、深呼吸と真呼吸では「主語」が違うのです。
深呼吸は「私が」呼吸する、です。
真呼吸は「体が」呼吸する、です。
「私」はあくまでもその観察者に過ぎません。
次のゆっくりと文章を読みながら、呼吸を感じてみて下さい。
「へえ、私の肺はこんなふうに動いているのか。こんなふうに肩は上がり、胸は膨らむのか。背中も膨むなあ。椅子に背中を押し付けるとよく分かる。手を当ててみると肋骨の下の方も動いている。そして肺が膨らむとおなかも膨らむんだなあ」
肺の上部も感じてみましょう。
肺は鎖骨の裏側まであります。あまり知られていない部分であるため、感じようとするとその新鮮さから、意識を集中し易いです。「あ~、動いている」と思いながら、感じて下さい。
もっと感性を研ぎ澄ませてみましょう。驚きに乏しい大人の理性は要りません。子供の心に帰ってみましょう。
「これは凄い。動いている。私が動けとも言わないのに。いつから動いているんだろう。生まれた時から? いや、生まれる前からだ。お母さんのおなかにいる時からだ。「私」が「私」になる前から、ずっと動いているのか。そしてこれからもずっとずっと、動いていくのか…」
あなたは心の底から感心することが出来ますか?
そして、気付いているでしょうか。今、この呼吸にまつわる文章を読みながら、あなたの呼吸はそれまでよりも深く、長くなっています。
それは意識を向けたために起きた変化なのです。
体には特筆すべき性質があります。
それは「意識を向けた所は活性化する」というものです。だから呼吸に意識を向けると呼吸は自然と深く「なる」のです。呼吸法で深く「する」必要はないのです。
逆に言うと、あなたが意識を向けない時、呼吸は浅くなるということです。
ではそんな時、あなたの意識はどこに向かっているのでしょうか? お分かりでしょう。考え事、悩み事、記憶など、全ての雑念ですね。このように私たちは非常にしばしば、とても大切な居場所をお留守にすることによって、雑念に専念します。その雑念と来たら、全く無価値と来ています。ただ厄介なのは、雑念に没頭している間は常に、その雑念は人生の最重要事に思えてしまうのですが…
あの人がどう言ったとかこう言ったとか、昨日までに犯した、今更考え直しても仕方のない過ちや、明日からのどうせ起こりもしない不安に意識を向け、エネルギーを浪費します。代わりに本当に大切な身体活動に関心を全く向けていません。これでは自分を見失うのも、病気をするのも当然だと言えるのではないでしょうか。
真呼吸は、あなた自身が「観察者」となって、呼吸に対するコントロールを一切放棄する試みです。
再び、試してみましょう。
これからあなたは一切、呼吸をするつもりがありません。面倒臭くなってしまいました。今だけ、重度の面倒くさがり屋になって下さい。そして吸ったら吐く、吐いたら吸うというリズムも固定観念も、今だけ捨て去って下さい。
「私は吸わない…。面倒臭いから」と思って下さい。
我慢比べではないので注意して下さいね。立ち上がるのや腕を上げるのが面倒くさいのでそうしないのと同じように、吸うのが面倒臭いので吸わない、という感覚です。
するとしばらく吸わないでいることが出来るでしょう。ここまで呼吸をする気がない自分になるのも珍しい体験なのではないでしょうか。そして「新たに吸うのも確かに面倒臭いな。このまま止まっているのもいっそ楽だ」とまで思えるでしょう。
しかし、その後ちゃんと体は再び息を吸うのです。
吸ったでしょう?
ここから一つのことを学んで下さい。
今の呼吸は「あなたが」したのではありません。
「体が」したのです。
これはあくまでもテストです。長く息をしないでいることは真呼吸の目的ではありませんので誤解なきよう。
テストをした理由は、呼吸に対して傍観者になりきる感覚を覚えて欲しかったからです。呼吸に関してここまで私は身を引ける、ということを体感できたでしょうか。
私たちは日頃、無自覚のまま、呼吸に干渉し過ぎているのです。呼吸を忘れていると言いながら、制限をかけ、主役を奪うという意味では大いに干渉しています。
しかし、何度も思い出して下さい。
呼吸は「私の」仕事ではなく、「体の」仕事なのです。
「果たして私は呼吸を感じられているのかどうか…」と分からなくなったら、いつでもまた面倒臭がり屋ごっこをしてみて下さい。
体に自由にさせるとして、深さや速さや長さにおいて、正しい呼吸はあるのでしょうか?
ゆっくり、深くなったら良いです。しかしならなくても良いです。
これは晴れの日も良いし、雨の日も良いというのと同じです。
大切なことは、それがどんな呼吸であれ、あなたの自身の意識を向けておく、ということです。
どんな呼吸も全て正解なのです。深くないといけない、長くないといけないなんてことはありません。呼吸を感じ始めたら落ち着きなく速い呼吸が始まることもあります。先程のテストのように、吸うのを忘れたかのようにずっと無呼吸のままのこともあります。
しかしどうあろうと心配しないで下さい。死にはしませんから。
あなたの意志なんてそっちのけで、体には体のペース、やりたいこと、作戦があるのです。どうか信頼して、自由にして下さい。
好きにさせることで、体、そして心は、もっともっと大きな力を動かせるようになるのです。
次に姿勢を確認しましょう。
呼吸のたびに体の中はどんな動きをしていますか?
息を吸うと胸が膨らみます。
それによって、腸が下に押されます。
これを分かり易く感じるには、背中を丸めてみて下さい。息を吸うと、お腹が苦しくなるでしょう。これが、腸が肺に押されている、ということです。すると腸は「苦しいからそんなに膨らまないでくれ!」と肺に言います。これでは呼吸が浅くなってしまいます。
今度は背筋を伸ばし、骨盤を立ててみて下さい。すると内臓のスペースに余裕が出来ます。これで上から押されても大丈夫。楽々呼吸が出来るようになります。腸は肺にこう言います。「もっと吸っていいよ! こっちは大丈夫!」
こうして呼吸は自然と深くなるのです。
ここで覚えて頂きたいことは、「骨盤を立てなければいけない」のではないということです。呼吸を感じると、骨盤を立てたくなってしまうのです。なぜならその方が楽だからです。
心身の健康上、良い姿勢はとても大切なのですが、大前提は呼吸です。
多くの人にとって姿勢直しが続かないのは、形だけを追っているからだと思います。そのやり方だと体感としてメリットがありません。ただ疲れるだけなのです。
姿勢が良い人も、姿勢が悪い人も、自分にとって楽な姿勢をしています。
呼吸を感じている人にとっては良い姿勢が快適なのです。無理をしているのではなく、快適さに忠実であるだけです。
もしあなたが今はまだ姿勢が悪かったとしても、呼吸を感じ続けていけば、「頑張って姿勢を良くする」のではなく、「楽だから姿勢を良くしていたい」というふうに必ず変わっていきます。
呼吸は鼻でして下さい。鼻が詰まっている時は…、仕方ありません。鼻詰まりが一日も早く解消されることを祈りましょう。
目は開けても閉じても構いませんが、閉じると雑念が湧く時は、ぼんやりと眺めるとか半眼にするのがお勧めです。
下着は緩めましょう。骨盤を立てても下着がきつければ苦しいです。またブラジャーも緩めて下さい。
時間・回数は、極端な話、一呼吸でも良いのです。
むしろ大事なのはその後のこと。
真呼吸で呼吸を感じたら、可能な限り呼吸を感じたまま、次の動作に移って下さい。ここですっかり呼吸を忘れて、ガチャガチャと動き出しては何のための「ON/OFFを持たない」真呼吸か分かりません。
5.日々の実践
真呼吸は日常の中でどのように取り入れたら良いのでしょうか?
答えは「いつも」。つまりONとOFFを持たないということです。
もちろん、これは最終的な理想です。
以下の3つのステップで、真呼吸を習得していきましょう。
STEP1 一日の中で、真呼吸の時間をしっかり取る
例えば朝一番に真呼吸します。真呼吸して一日を始めると、余裕を持った態度で過ごせます。「毎朝3分」「じっくり10呼吸」など、自分で決めて、毎日欠かさず行うことをお勧めします。継続することによって、自分にとっての快適で自然な呼吸が体感として身に付いていくからです。
STEP2「ながら真呼吸」する
STEP1でしっかり体感を掴んだら、日常の中のあらゆる場面で真呼吸してみます。例えばトイレで、お風呂で。または電車を待っている間、お湯が沸騰するまでの間など、色々な時があります。テレビを観ながらだって良いです。
真呼吸をするのに、座ってじっとしなければならない訳ではありません。歩いている時も会話している時も食べている時も、呼吸を必ずしていますよね? 「無自覚の浅い呼吸」を「感じる呼吸」に塗り替えるチャンスは常にあります。あなたが感じようと思った全ての瞬間が、真呼吸のタイミングです。
そして、真呼吸しながら食事をするといつもと何が違うか? 歩くとどう違うか? 点検してみて下さい。音がよく聞こえたり、いつもより味わいが深く感じられたり、色が鮮やかに見えたり…
あなたの感度はどんどん磨かれ、体は無理のない自由な動きや繊細な感覚を、自然と回復、開発していくようになります。
STEP3 難しい場面で真呼吸する
「ながら真呼吸」に慣れたら、更に進んで少し困難な場面でも真呼吸をしてみて下さい。例えば料理、掃除、苦手な人との会話、技術を要する様々なことなど。
難しいことや嫌なことをする時、私たちは息を詰めていることが多くあります。しかしそんなふうに息を詰めてしまうことで、かえって「難しい」や「嫌い」が、クローズアップされてしまうのです。
苦手の人を前にしても真呼吸。すると、自分がいつものように焦らず怯えず、落ち着いた心でいられるはず。
声の調子でも確認してください。前にも述べたように、呼吸を忘れている時には、あなたの声はいつもより高く、硬く、そして早口になります。しかし呼吸を感じることができると、あなたの声は、穏やかに低く、静かになります。
苦手な状況が発生してからではなく、あらかじめ自分で準備するのが効果的です。例えば苦手な人がいるならば、「今日あの人と話す時には真呼吸で行こう」。出勤するのが億劫なら、「職場に入る時に真呼吸で行こう」。
気持ちが動揺してから「真呼吸!」と思い出すのは非常に難しいことです(そこまで出来たらもう真呼吸マスターです)。しかしこのようにテーマを定めることで、真呼吸を応用し易くなります。
STEP4 真呼吸の更なる道
真呼吸に終わりはありません。昔からあらゆる芸の道の達人や、豊かな人格を備えた人は、落ち着いた呼吸を身に付けていました。しかし真呼吸は偉人や賢人だけの特権ではありません。全ての人が呼吸している以上、全ての人が呼吸を感じることが出来るのです。
私たちの人生にはあらゆる問題が休みなく起こります。その全てに対して真呼吸で応じていきましょう。もしあなたが真呼吸に精通してきたら、その全てが自分に更なる真呼吸の修業をさせるために起きているのだということがはっきりと分かるはずです。
人生は苦しみに耐えた量で豊かになるのではありません。呼吸を忘れず、自分を見失わなかった経験量によって豊かになるのです。
嫌なことが起きても真呼吸。
風邪を引いて体が辛くても真呼吸。
将来が不安な時も真呼吸。
過去に囚われて苦しい時も真呼吸。
会話する時も、運動する時も、仕事をする時も、食事をする時も、いつも真呼吸です。
するとあなたはどんどん落ち着いた、ゆとりのある人になり、「あなたと一緒にいると心が落ち着く」「安心できる」と必ず人から言われるようになります。そんな人になったら、もうあなたの一生の幸せは保証されたようなものです。
病気の人は健康になり、健康な人は更に健康に、そして人もお金も楽しい体験も、自然と集まるようになってきます。
是非真呼吸を続けて、一生涯にわたって更に魅力的な人へと磨きをかけていって下さい。
最後までお読み下さり、ありがとうございました。
呼吸は当たり前のようで奥深い、私たちの人生を実は根底から決定しているフルタイムの営みです。
今あなたは幸せでしょうか? 健康でしょうか? 静けさと安心の中で満ち足りているでしょうか?
言い古された言葉ですが、答えはあなたの内側にあります。「内側」とは哲学的観念ではありません。文字通りに体の内側のことです。
体の内側はそのまま心の内側に続いています。あなたが体の営みに心を寄り添わせる時、慌ただしく追い立てられるような暮らしは終わりを告げます。
皆が呼吸を感じ、呼吸と共に生きることが出来るようになったら、人生も世界もどんなに平和で楽しくなることでしょう。
あなたも是非、真呼吸を伝える人となって下さい。
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ただし私の許可なく商業利用しないで下さい。また内容を独断で変更しないで下さい。
皆さんと一緒に真呼吸する「真呼吸会」は、毎週日曜日午前10時から20分ほど、YouTubeでお送りしています(「真呼吸会」で検索)。是非ご参加下さい。
カワベマサノリ
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