「何で治ったのかよく分からないけど治った」
そういうことがざらに起きます。
ヒーリングの結果の話です。
「医者が不思議がっていました」
「驚いていました」
と言われるたびに
「ほーら、凄いだろう、おじじのヒーリングは」
などとは露とも思わない私は本当に善良かもしれない。
謙遜はしていないし、褒められるのが苦手なのでもありません。
ただ
「命は凄く複雑だから、そういうことも起きるよ」
という理解をしているだけ。
何で治ったのかなんて分かりません。
(*分かる時も勿論ある。)
ワカッタ病は人間の悪い癖。
「私たちはきっと何でも分かる」、
この神話が私たちをこんがらがせているんじゃないかなと思う訳です。
「理屈はよく分かった。でも治らなかった」
「理屈が全然分からない。でも治った」
これを比較すれば後者が私たちの欲しい答えであるのは明らかで、
医者が分かろうが科学が証明しようが、そうでなかろうが、
重要なのはそこではない…
「分かった」から解放されれば、世界はもっとすっきり見える。
…という理屈は「分かった」
でも、じゃあ「分からないもの」を信じて付いていけますか?
誰も証明しないものを。
そこが、ヒーリングを受ける人と受けない人の分かれ道なんですね。
高慢に聞こえるかもしれないけれど、
「ヒーリングを信じよ、さすれば…」
じゃないですよ、僕が言いたいのは。
「あなたが信じたいものを信じよ」
です。
その対象がヒーリングなら、ヒーリングを信じたらいいし、
それ以外ならそれを信じたらいいし、
というだけの話。
たとえアタマで全部分からなくても。
「誰それがこう言った」
ではない世界に、私たちは入っていきましょう。
すなわち「自分の心がこう言った」という世界に。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
7月4日(土)11時。心のお話会(1000円)。
同日14時。『遺書』の勉強会(ご購入者無料)
7月5日(日)は山羊座満月&半影月蝕ヒーリング(5000円)。
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ご連絡は
LINE:atelierkoshiki
microcosmo.healing@gmail.com
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