2021/09/26

おじじ日記。ピアノの練習

日曜日は息抜きに、育児日記を書いている。
しかし今回は子供について書くことが思い当たらないので、自分のことなど書いてみようと思う。

最近語りたいのは何と言ってもピアノである。
先日Twitterで練習の成果をお見せした所、数名の方々からたいそう褒められた。
録画ならではの緊張があるので、普段はもっと上手い…などという口実はさておき、お褒めに与(あずか)りとても嬉しい。

実に多くのことを学んでいる。
中でも最大のものの一つは「大人の学習速度は子供に比して遅いなんてことはない」ということだ。
これはよく言われることだし、子供の学びが速いことはよく知られている。
子供にはまだ変な癖がないことが多く、頭の中もまっさらなので、ぐんぐん教えが入るという。
それは確かにそうなのだろうが、では大人になったら学びが劇的に遅くなるのかと言ったら、どうもそんなことはないようだ、というのが、今の所ピアノの練習を始めて2か月の私が思うことである。

大人の学びの良い所は、別に誰にやらされている訳でもないということ。
自分がやりたくてやっているだけだから「先生が嫌でピアノも嫌いになってしまった」なんてことも起きない。
嫌ならやめればいいだけだし、多分、かなり才覚ある子供は別として、大人の方がいちいち感動する気もする。
私は自分が弾きたい曲はいくらか目星がついていて、それはバッハの作品なのだが、たどたどしく鍵盤を押しながら微妙な和声に遭遇しては「おお~っ」と深く感動したりする。
感動が自分の努力を牽引してくれる。
こういう喜びは大人ならではなのではないだろうか。
練習がそのもの、人生の喜びと化すのである。

あらゆる精神活動は切迫感か喜びか、どちらかによってエネルギーを供給されると思う。
趣味に切迫感はあり得ないから、とにかく喜びの大きさが自分を育ててくれるのだ。
喜びを最重要視するから、練習曲などは弾かない。
私はチェロを7年ほど教室に通って学んだけれど、練習曲の退屈さはよく知っている。
だからいきなり自分の弾きたい曲を弾く。
かなり難しい曲だけれど「やりたいからやる」という以外に何も要らないので全然困らない。
しかも結果として、今では弾けるようになっている。
そして私は人から教わるのが向いていないのを自覚しているので、誰からも教わらない。
自分が納得行くように続けていると、必ず最後に納得がいくようになるという持論と経験を持っている。

今3曲弾けるようになって、また更に2曲レパートリーを増やそうとしている。
だいたい2週間くらい頑張ると曲を暗記できるようになり、更に2週間くらい頑張ると(上手く行けば)つっかえずにテンポ通りに弾けるようになる。
最初の譜読み(譜面に書いてあることを指に辿らせる期間)が一番つらい。
脳が破裂しそうになることがある。
何しろ右手と左手がバラバラと動くのだから、慣れない者には無理もない。
しかしここを頑張って踏みしめて一歩また一歩と進んでいくと、だんだん指が慣れてくる。
(以前の自分にはこういう所に忍耐力がなかった。)
そうすると弾くのが一転して心地よくなってくる。
それでも何度もつっかえるのでメトロノームに合わせながら、だんだん速度を上げていく。
この過程はさながらスポーツである。

曲はまるごと暗記してしまう。
すると驚かれるのだが、そんなに大したことではない。
覚えるまでやり込むとどこかで覚えてしまう、というだけでなので、そこを到達目標に掲げておくと、やれてしまう。
月に1曲くらいレパートリーを増やしていけば、来年の今頃には12曲弾けるようになっている。
以前の自分なら、「そりゃ無理だ」と思ったかもしれないが、今の私はそれは全然余裕で達成できる目標だと考えている。

ここで思うのだが、私たちにはどうやら完成型を初めから想定してしまう悪い癖があるらしい。
初めての土地に行って、いきなり道路やお店の位置関係を全部覚えると言い出したら、無理でしょう、と思うだろうが、その土地に暮らしている人にとっては当たり前のことで、それはその土地で長いこと過ごしているからだ。
そして重要なことに、1本の新しい道を覚えたからといって、記憶の中の1本の道を引き換えに消さなければならないわけではない。
つまり記憶はどんどん時間の中で積み重ねられていくので、ピアノを始めて最初の2か月で「私は一年で12曲覚える」と言ったら、「まあ、ほどほどにね」と人は思うだろうが、1曲ずつ確かに覚えていって「一年で12曲覚えてしまった」と言ったらどうだろうか。

人生にはこんなことがある。
私たちは始める前から「そりゃ無理だ、高すぎる山だ」と決めつけてしまい全く手を出さないということがあるが、それは完成型を初めから思い描いてしまっているからだ。
しかしどんな道を少しずつ続けていけばいつのまにか踏破してしう。
「無理だ」と言って10年過ごすのではなく「少しずつ」でも10年続ければ、10年後の自分はとんでもないことになっている。

古代ローマの賢人セネカはこう言った。
「人生は使い方を知れば長い」

というわけで、ピアノが楽しくて仕方ないのである。
なお欲を言えば、もっと早く始めていれば良かった。

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