2021/10/15

頸椎ヘルニアからの坐骨神経痛①

昨日のブログに書いたNさんがヒーリングを受けられたご感想。

「首がとても軽くなりました。
あと、脊髄ですかね?すうっと、通った感じ?です。

セミナーで「楽な姿勢」と言われましたが、骨盤を立てた状態を、施術前より、少しだけ楽にできるような気がします。

あと、なんと言いますか、思考に迷いがないような気がします。おおげさかなー?。やる気も湧くような。

困っていた坐骨神経系の痛みは、若干ですが、楽になった気がします。土日は別の接骨院にはいきませんでした。

また、次回よろしくお願いします」

Nさんは坐骨神経痛があったとのことで(確か)、その前には頸椎ヘルニアがあったという。
先日一連の頸椎の話題で説明したように、「頸椎が起点となって諸々の問題が起きる」ということで身体症状の多くは説明できる。
この方は針治療を長らく受けられていたとのことだが、一時的に良くなっても、暫くすると症状が再び出てくる、ということを長年繰り返していた。
針自体が、外部的刺激によって体を回復させるものなので、これは当然の現象である。
頸椎ヘルニアの方はそれで何とか抑えていたのだけれど、数年前に坐骨神経痛が出てくるとこれには全く打つ手がなかった、と。

ところで私の記憶力は非常にだらしないので、間違っていたらすみません。
だいたいこういう話だった。
細かい名称や時期のことなどは別に問題ではないので。

これをどう説明しよう。
その日もいまいち上手く説明できなかった。
イメージ的には明らかに見えているのだが、言葉にするのが難しい。

今、試みてみる。

まず頸椎の問題があった。
それを対症療法で抑えていた。
暫くはそれで上手く行った。
しかしこれは猫の首だけ押さえつけたようなものだった。
自由を求めて猫はもがくと、首以外を必死に動かした。
腰が上がった、しっぽが尖った、足を踏ん張った…という具合に。

根本原因の問題表出という「呼吸」を封じ込めてしまうと、その他の部分で「呼吸」しようとする。
これが体の問題が複雑化する原理なのです。

今とても上手く説明できたと思うのだけれど、お分かりになりましたか。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●スケジュール
10月16日(土)10時 瞑想教室(1000円/初回5000円)
10月20日(水)牡羊座満月
11月5日(金)蠍座新月
(*ヒーリング対面は7000円、遠隔は5000円)

真呼吸会 毎週日曜。10:00~10:20。無料
瞑想教室 不定期

●お問い合わせ
①LINE:atelierkoshiki
microcosmo.healing@gmail.com
③090-9309-1217
●ホームページ:https://www.microcosmo-healing.com/
●LINE公式(満月新月のお知らせなど)https://lin.ee/BhCsBpc(@463dflke)

●心の指導
対面10000円/
ビデオチャット8000円
●ヒーリング
対面7000円/遠隔5000円 /マッサージ10000円(*学割、未就学児割あり)
出張もします。

●ヒーリングアクセサリー「プレローマ」36,000円

会員制ブログ「メルクリウス」 毎週水曜日更新。年会費10,000円

●アートなど
聴く鎮静剤『愛のオートマタ』(1800円)
その他、CD、絵、小説の販売もしています。

●PDF文書
*時々最新版に無料で更新します。

4 件のコメント:

madeleine さんのコメント...

こんにちは。粟野です。
この記事について、ずっとモヤモヤしていたのですが、やっと整理がついたので意見を述べます。鍼治療は対処療法ではありません。この記事を読んだ以外にあまり鍼治療についてご存知ない方、鍼治療を受けことのない方などには誤解を招く書かれ方だと思いました。このNさんと治療をなさった方の関係では結果的に対処療法的になってしまったという事だと思います。鍼治療も河邉さんの治療も、「現れている症状から何を読み解いてどう施すのか」と、「施された治療(とその結果)に患者本人がどういう態度をとる(とっていく)のか」という所が鍵になるという点で同じです。河邉さんのおっしゃる「根本原因の問題表出という「呼吸」を封じ込めてしまう」様な術の使い方ではダメだ、という様な事が下記のリンク先に書かれています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1948/13/8/13_8_18/_article/-char/ja/
ご参考になりましたら幸いです。

madeleine さんのコメント...

こんにちは。粟野です。
追記です。
河邉さんは、「鍼治療は対処療法」とは書いていません。ですが、この記事を読むとその様に思える、というところを指摘しています。言い換えると、「わたしがそのように誤読しかけた」ということです。普段、理解がご自身の本意となるべく逸れることのないようにさまざまな表現の工夫をされていらっしゃるのに、その注意はここには向けられなかったのかと驚いたので、そしてこれを読まれる方にその様な誤解は避けて頂きたく、あえてこちらに書かせていただきました。また自分が鍼灸師を目指しているから殊更気になっているのもきっとあると思います。もしかしたら賢明な読者のみなさんはそんな誤読はなさらないかもしれません。杞憂というやつです。そうであるならば教えてほしいです。よろしくお願いいたします。

カワベマサノリ さんのコメント...

粟野さん
ご指摘にお答えします。

この記事を書いた時点でそのようなご反応があることを想定していました。なので仰るような充分な注意を向けなかった訳ではありません。
針治療を否定しているのではありません。文脈上、否定しているように取られるのは理解できます。しかしそれをどう読むかということは読者の取り方の自由なので、私は領分ではないのです。私は読者のその自由に干渉しないようにと、この記事でも他の記事でも努めているつもりです。

私が書いた「(針は)外部的刺激によって体を回復させる」ということそのものは事実ですし、外部的な刺激による療法は症状を再発するということも、全ての療法における現実です。私のヒーリングも同様、それがただの依存的反復となるなら、外部刺激となります。
ヒーリングも使いよう関わりようで質は上下します。針も同様です。粟野さんが紹介して下さった記事文中の「鍼灸が対症療法に堕してしまう場合は珍しいことではなく」というのは、つまり私が今言ったことと同じことを言っているのです。

粟野さんが針の道を志していることは勿論存じていますし(応援しています)、そのためにこの記事がご不快な思いをさせかねないことは分かっていました。しかし私はこれまでの全てのブログ記事において、ご不快に思うかもしれない方のために予防的な弁明をしないように心がけているのです。それは言葉の道の掟のようなものだと心得ています。

これもまた誤解されるかもしれませんが、私は対症療法を否定しているのでもありません。根本治療だけが有益とも信じていません。騙し騙しやっていかなければならないことは人生に多くあります。もし騙し騙しでもクライアントのケアをしなければならないような状況にある、懸命に奉仕している施術者がいるとしたら、引用記事の後藤さんの「対症療法に堕して」いる、という表現はやはり容認できないでしょう。しかし文中において後藤さんもまたそのような方のためにフォローはしていないのです。なぜなら後藤さんは自分の考えを学ぼうという人たちのために自分の考えを書いているからで、全ての読者のために中立的な視座の提供を目的としている訳ではないからです。

また「読者に誤解を招く書き方」というご指摘についてですが、私は自分のどの記事も誤解を招く恐れがあると思って日頃から書いています。しかし私が想定しているのは通りすがりではなく継続的な読者です。今回の記事で欠けているものはいつか別の記事で補われます(これまでの他の話題においてもずっとそうしてきたように)。皆さんから「河邊さんがあの時こう言っていたのはあのことか」とか「あの時は分からなかったけれど今回の記事で分かった」というご感想をよく頂きます。私は言葉がこのように重層的・補完的に働いて伝達の質を上げていくという力を信じています。ですからこの記事が単独で完璧である必要は、私にはなかったのです。

私はこの記事において、私のヒーリングと後藤さんの言う所の「対症療法に堕している」針の簡単な対比を試みました。以上の述べてきたことは全てあらかじめ念頭に置いた上で、話法上の制約として書かなかった所のものです。粟野さんの心を痛めたことについては本意ではありませんでしたが、以上の説明で納得して頂けると嬉しいです。
お読みくださりありがとうございました。

madeleine さんのコメント...

こんにちは。粟野です。
本文よりも長いお返事をいただき恐縮です。お骨折りいただきどうもありがとうございました。わたしが抱いたモヤモヤはすべて晴れました。わたしがこの記事を読んでなぜ「不快に思い、心を痛め(なければならなかっ)た」のか。それは、発信者に内容の中立性(自分の納得できる落とし所)を担保するよう依存し、受け手として自分の力でそれを保とう(探そう)という努力を怠っていたからでした。「予防的な弁明をしないように心がけているのです。それは言葉の道の掟のようなものだと心得ています。」の一文に、ハッとしました。翻って自分が発信者になった時、その掟に耐えきれず度を越してあれやこれやと愚策を弄するのを常とする自分を見ざるを得なかったからです。わたしの中の「敢えて言うなら純粋な」疑問は「なぜこのような記事になったのか(鍼治療は「対処療法」であると思われる様な書き方をしたのか)」であり、それをそのまま発すればよかっただけのことでした。その部分に不快感を伴って反応してしまった自分が腹立たしく、また不安を感じモヤモヤしていたのでした。その不快感と不安は、自分の未熟さへのものであり、河邉さんに意見することで解消するものではないことは直感的にわかってはいるものの、対処の仕方がわからずうろたえていました。結局、意見している様に見せかけた八つ当たりだったということですね。お恥ずかしい限りです。
この度は大変失礼いたしました。お詫び申し上げます。
また、あたたかい応援のお言葉ありがとうございます。励みになります。
不躾とは存じますが、これに懲りず今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

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