2021/10/24

おじじの断捨離日記①

私事。

最近思う所あって断捨離している。
引っ越すつもりでやっていたので、かなり捨てた。
目標は
①小さな家にも入るまでに持ち物を減らすこと。
②この家を出るまでに、家をすっきり綺麗にしておくこと。

乱雑なまま立ち去るようなことはしたくない。
後者について思ったのは、南北朝時代には南朝と北朝が互いに京を取ったり取られたりを繰り返していたが、敗れて自分が立ち去る時には御所を綺麗に掃き清めて、なおかつ武具などの贈答品をわざわざ敵のために残したという。
まさに日本的心というべきか。
「最後には掃除して立ち去る」というのは古来変わらない日本人の心なのであろうと思う。

我が家には地層のように色々な時代が積み重なっている。
たかがた20年の暮らしではあるのだけれど、一番多い時には両親2人、姉2人、私、それに犬4~5匹がいた。
かなりのものである。
時間を隔てて彼らは一人また一人と新しい住まいに去っていったのだけれど、南北朝時代に似ず(せっかく紹介までしたのに)、不要な私物はごっそり置いていってしまった。
それとスペースが余っているせいで何となく「これ、いる?あげるね」「これ、とりあえず預かっておいて」「ま、捨てないでおいて」などの言葉が不用意に発せられ、物が溜まっていく。
それでその片付けをこれまでに2回か3回ほど力を入れて取り組んだのだけれど、まだ残っているものがあった。
私もやはりそういう家の者なので「まあ、いっか。片付けは後で」と思う性分である。
本当にだらしない。
しかしその限界を超えなければいけないと感じることがあり、一念発起した。

この家は複雑というか余計な作りをしていて、全然使えない3階とガレージがある。
はっきり言って、なければもっとすっきりしている。
こういう所が「判断保留の代物」の一時的(その実際は恒久的)留め置き場になってしまうのである。
使用済み核燃料のように、「これ、いつどうするんだ」という目途を立てないまま「どうせ隙間なんだからいいだろう」と放り込んで知らぬ顔を決め込む。
国家の問題も人類の問題も、その最小の表れは常に家庭生活の中にある。

そういうものに今回は目を付けた。
もうこれは放っておかないぞ、と。
3階はそれでほとんどすっからかんになった。
すっからかんにしてどうするんだという感じだが、元々そこにあるのがおかしい部屋なので、正式にこの部屋はそもそも無きものとして切り捨てる。

地下のガレージはほとんどカオス。
ここも過去に二度三度手を入れたのだが本丸まで辿り着かなかった。
今回こそはとどめ。
このガレージには一家・一族の問題がごっそり詰まっている。
カルマの象徴のような空間である。

風水的、波動的にも地下は難しいものがある。
ちゃんとした地下室なら良いけれど、我が家の場合それに当てはまらない。
メリットではなくデメリットだけが構成している空間。

この家に引っ越してきた20年前の当時、私に今のような目があったら「この家は駄目だ、家族が揉める」と親を止めたはず。
しかし遅ればせながらそのことに気付き始めたのはこの5~6年のことだった。

「自分が引き継いだ困難は、解決すると力になるパズルである」と蠍座は考える(と私は考える)。
だから私はこの家屋、そして生まれた家系と格闘しなくてはいけない。
難しければ難しいほど、逃げる訳にはいかない。
今回は、逃げるのとは違った意味で、「もうクリア直前ということだろうか」と思ったので、最後のけじめをつけるべく、引っ越し覚悟の断捨離を始めたのだった。

そして断捨離に終わりが見え始めた頃…水道の問題が起きた。

続く。

皆さんがこの記事を読まれる頃、私は小淵沢に向かう道中または小淵沢のお空の下におります。

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