お便り
「まどかさん日記、とても楽しく読んでいます。わたしがしてみたかった子育てを河邊さんご夫婦が実践されているので、読んでいて満たされる感じがします。空を飛ぶ靴、いいですね。買ってきただけだと「ぬののふく」ですが、絵を描かれたり刺繍をしたり色をほどこしたりすると、それが気を引くためであっても、どうしてもそれだけではない親のおもいにあふれて「さいきょうのよろい」になりますね」
…ドラクエネタでございます。
「そらとぶくつ」というのがあってね。昔。
さて。
「関連付け」と「呼びかけ」は
全然違うものである。
ちなみにここでの「呼びかけ」は
「おーい」ではなく
名前で呼ぶ、という意味。
牛を見ると「もー」と言うこと、
おじじの写真を見ると「じ」と言うこと。
これは「関連付け」だが、
生身のおじじを見て「じ」と言うこと。
これは「呼びかけ」で、
言語獲得の段階的には
「関連付け」⇒「呼びかけ」と進むようだ。
内容を更に吟味すると
関連付けにおいては勿論、
興味のあるものから優先的に進んでいく。
色を取っても、
青が好きなので「あお」から覚え、
興味のない色は
覚える気もあまり見せない所が面白い。
先日、「しろ」
と言ったらわざわざクレヨンを取って
「これでしょ!?」
と見せたのが「黒」だった。
彼にとって興味のある色は
1位 青(「あお」)
2位 赤(「 あ!」)
3位 橙(「じんじ」←オレンジ)
4位 黄、緑
5位 その他
という感じのようだ。
一方、呼びかけの方は
以前書いた予想の通り、
他人と見なせる対象から進んでいく。
私はかくして先日(5月最終週)、
「じ。じ」という名を頂いたのであった。
しかしお母ちゃんのことは
呼ばないのである。
なぜなら子にとって
母は自分の延長であるからだ。
これについて面白い観察がある。
「父ちゃんは何て名前?」
「じ。じ」
「母ちゃんは何て名前?」
「い!」
「まどかは何て名前?」
「い!」
どうやら「い!」は
一人称を意味している。
1歳7か月の子供の心には
自分と母親は等しく一人称で
括るものであるようだ。
ここから更に進んで
母親にも「呼びかけ」を行うようになった時、
それが個の意識、自我の芽生えの
その始まりとなるのだろう。
記憶が曖昧なのだが、
地球上の多くの先住民族の名前は
「人間」とか「私」という意味なのだそうだ。
というのは探検者などがそこに行って
「おまえは誰だ?」
と尋ねたら
「人間だ」とか「俺だ」と答えたので
探検者はそれが彼らの部族名だと誤解した、と。
確か、「アイヌ」もそうだったのではないかな。
アメリカ先住民族にもそういう名前が多い。
してみると人間にとって
「おまえは誰だ」なんて質問は
されるまで答える用意ができていないものであり、
「誰だ」と問われれば
「はあ、まあ俺ですが」
としか言えないくらい
ぼんやりとした思考空間に浮遊しているものなのだろう。
これが幼児の意識の発達にもやはり見られるのである。
考えてみれば
子供にとって一人称なんてものは用を為さない。
使い道がないのだ。
「僕は思う」とか
「僕の」とか
「僕に」とか言う必要は
子供には全然ない。
なぜなら子供の認識にとっては
世界は自分と同義であり、
自分は世界の中心であり、
あらゆる現象が目的とする唯一の対象であるから
わざわざ言葉という形に切り抜いておく必要がないのだ。
子供にとっては
自分に関与しない全ての出来事は起きていないに等しい。
自分しか世界にいないのである。
だから当然、名前も必要なくなる、
世界の中心は常に空(くう)である。
『老子』に云う、
「名無きは天地の始め」である。
これがもっと成長して
自分のことを名前で括るようになると
そこから所有欲も恐らく始まる。
「僕の」
という思いが湧いてくる。
「ぼくは」と言った時点で
「ぼくに」と求める我執も
「ぼくの」と主張する強欲も
必ずおまけでついてくる。
これは一人称にかけられた一種の呪いである。
野外幼稚園で子供たちを見ていると
2歳未満の子は、他の子に物を取られても
ぼーっとしていて実に反応が鈍い。
暫くしてから半泣きになり
「返して~」とはなるけれど
そこに所有の観念があるように思えない。
ただ状況の変化に不安になっているだけだ。
数少なく例外的に思えるのは母親である。
私が先日、ふと運転中に
助手席の妻の脚に手を置いた。
すると息子はそれを払いのけた。
「ぼくのお母さんに触らないでくれる?」
とその仕草は言っていた。
しかしこうも見える。
「ぼくのそこに触らないでくれる?」
というのは母は自分の延長だからだ。
所有に近い感覚ではある。
しかしどうなのだろうか。
ここにはビッグバンのような
いくつもの要素が一点に未分化に集約されている
準備的段階が見て取れる気がする。
母を触られているのを
自分が触られているように感じるのだ。
これを大人は「所有」と見なすが、
子供の等身大の感覚では「同一感」なのだろう。
そこから「自我」が生まれると同時に
その影のように「他者」が生まれ、
自我と他者の関係性の一様態として
「所有」の観念と欲求が生まれる。
だからこれを逆に辿って瞑想すると
「自我」「他者」「所有」の三概念は
再び元の一点に帰り、
精神活動が停止することで
始原の爆発的なエネルギーが働くようになるのだ。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●スケジュール
6月19日(土)10-11時。時瞑想教室(1000/5000円)
6月20日(日)父の日(父のみ半額2500円)
6月21日(月)夏至(特別価格2000円)
6月25日(金)山羊座満月
7月10日(土)蟹座新月
(*対面は7000円、遠隔は5000円)
●真呼吸会 毎週日曜。10:00~10:20。無料
●瞑想会 不定期
●お問い合わせ
①LINE:atelierkoshiki
②microcosmo.healing@gmail.com
③090-9309-1217
①LINE:atelierkoshiki
②microcosmo.healing@gmail.com
③090-9309-1217
●LINE公式(満月新月のお知らせなど)https://lin.ee/BhCsBpc(@463dflke)
●カウンセリング
対面10000円/ビデオチャット8000円
対面10000円/ビデオチャット8000円
●ヒーリング
対面7000円/遠隔5000円 /マッサージ10000円(*学割、未就学児割あり)
●ヒーリングアクセサリー「プレローマ」36,000円
●会員制ブログ「メルクリウス」 アトリエこしきの「霊」部門。毎週水曜日更新。入会費10,000円
●こしき塾 アトリエこしきの「知」部門。毎週土曜日更新。
●電子書籍
絵本『五つの小さな物語 第一話 木』500円(楽天kobo)
●PDF文書
『遺書2021ーヒーラーが教える世界の秘密』15,000円
『真日本文明論』10,000円
『イエス新論』5,000円(*メルクリウス会員には無料進呈)
0 件のコメント:
コメントを投稿