2021/06/20

息子と初めての留守番

先々週あたりからそうしているのだが、
毎週日曜日を、私事を語る日としてみたいと思う。
硬い話ばかりしているので、
皆様にもいいかな、なんて。


先日、まどかと初めて二人きりで4時間ほど過ごした。
お母さんが外出することをしっかり理解して
大人しく遊んでいた。
一度も泣いたりぐずったりしなかった。
その健気さに、ひそかに涙するおじじであった。

今1歳7か月であるが、
子供の言語理解力の高さに
毎日驚かされる。

これからすること、
今してほしいこと、
してはいけないこと…

ほとんど全て理解できるのである。

最近、外を歩けるようになった。
色々なものが目に留まる。
先日は道端に空き缶が落ちていて、
彼はそれを拾おうとした。

「それは汚いから駄目だよ」

そう言うと、空き缶にバイバイと手を振って、
それきり未練を持たない。
こういう具合である。


まどかは外で遊ぶのが好きである。
最近は靴も履けるようになったので
尚のこと外は楽しく思われるようで、
満たされているがゆえに
落ち着きはらって静かなものである。

いつまでも土をいじり、
石を拾い、水を撥ねては遊んでいる。


烏やそれに類した鳥を「かっか」と言うのだが、
烏の羽根を見て「かっか」(上の写真)


記憶力・連想力も大したものである。
車で多摩川の傍を走ると
懸命に土手を指差し
「あそこに行こう!いま行こう!」
と訴えてくる。

先日の川原での石遊びがいたく気に入って、
それを覚えていたのである。

川の水を見るのではなく
土手を見るだけで(しかも違う場所の)
「この向こうにはあの川がある」
と分かる。

感心した。

その日は残念ながら却下。
数日後、
運良くタイミングが合って
川原に行くことが出来た。

水辺では勿論、石遊び。
ぽとん、ぽとん、と水の中に
石を飽かずに投げ入れていた。


私はまどかが投げる石集め。
まどかはそれを投げる、投げる。

草や土の上を歩くことは
大人にも子供にも気持ち良い。

アスファルトの路上では
少し歩いても比較的すぐに
抱っこに戻ってしまうのだが、
草や土の上ではそんな要求はついぞ
胸をかすめない。


情景をアスファルトに移す。

まどかの片手を引いて歩く。
まどかは無心に歩いている。

どこに向かっているのだろう?
何を思っているのだろう?

私はそんなことを思いながら
子供の歩く姿を見ている。

そこには大人が持ち得るような雑念はなく
困り事も計画もなく、
ただ歩くという行為に夢中になっている姿がある。

手を引かれているその感触も
そのひと時、忘れているかもしれない。

ふと我が心に悲しみが去来する。
その悲しみの訳を探ってみると、
この子供の歩くという本能は
彼の中から自然に生まれ出てきたもので
彼が生み出しているものではない。

まどかが「歩いて」いるのではなく
歩くという生命現象が
「まどか」という様態を纏っているのだ。

命というものは
自分で始めることも終えることも出来ない。
ひとたび生きるという営みが始まれば
それが終わるまで働き続ける。
壊れても動き続ける機械のように。
生まれ出たものは
自ら止まることは出来ない定め。

そういう所に生命世界の悲しさがある。
命はなぜ生きようとするのか?

命は魂の影絵であり、
実体にはなり得ない。
なぜ自分がここにいるのか、
永遠に知ることのできない束の間の生を
生ある者は辿るに過ぎない。

人間はそういうことを忘れ、
又は気付きもせずに
正に浮世に娑婆に慌てふためく心で生きるが、
子供の無垢な仕草の内には
生命のままならぬ在り様がしっかりと
描き出されている。

そこに、遠い宇宙から生命世界を遠くから見るような
悲しみを覚えたのである。


もう一つ別の悲しみがある。

まどかは道端の砂利に興味を示し、
(『幼辞苑』じゃじ)
それを飽かずにいじっている。

そしてとても開放的な子なので
道行く人や通り過ぎる車のドライバーに手を振る。
しかし反応はない。
それでもまどかは気にする様子もなく
「じゃじ」をいじり、
ふと顔を上げて人の気配に気付くと
手を振る。

そんなことを繰り返している。

この子供はいつ
「手を振ってもこの星の人は手を振り返さないんだな」
と気付くのだろうか。
そしていつそのことに気付いたことで
自ら手を振ることをやめてしまうのだろうか。

人が心を閉ざして生きる世界に
まだ心を閉ざすことを知らない子供がいる。
その姿を見ることもまた淡い悲しみを覚えさせる。


悲しい悲しいとばかり言うと、
何か塞ぎ込んでいるかのように聞こえるかもしれないが、
そういうことではないのだ。
この陰陽入り混じる世界では
喜びと悲しみは必ず共にあり、
純朴な子供においては特にその様相が
鮮明に見て取れるというだけのこと。

砂利を触った手で目をこすり、
痛くて泣いて…

そんなことも全て新たなる経験である。



微笑ましいばかりの話もある。

先日子供を連れて神社に行った。
すると驚くなかれ鳥居の下で
手を合わせ頭を下げた。

流石に私も妻も驚いた。
それから分かった。

紙垂(しで)に反応したのだ…

自宅でいつも神棚に手を合わせ
頭を下げる姿を彼は見ている。
(神棚の前にやはり注連縄、紙垂がある)
私が祝詞を上げている間、
三度ほどぺこぺこと頭を下げていたと
妻が笑いながら言っていた。

こんなふうに覚えていくのだが
その、なぜそれをやっているのかも分からぬまま
真似をする様は何とも言えず可愛らしい。


最後に絵の話。

先日、絵の具で絵を描かせてみた。
初のキャンバスである。


やり方はこうである。
まず私が「青」と「白」をパレットに出して
水で伸ばした。
彼はそれを筆に取ってキャンバスに塗り付ける。
他の色を指して「ぼっぼっ(=もっと)」と
彼が言う。
そこでその色を、キャンバスの上に直接出す。
「どこ?」と私は尋ね、
「ここ」と指差す所に。
それを彼は伸ばす。
飽きるまでやると、こういう絵になった。

しかしアクリルは服や床や体に一旦つくと
なかなか落ちない。
「あ、だめ」
「そこはだめ」
と、どうしても禁止が多くなってしまうのが
玉に瑕ではあるのだが。
今は戒めは極力少なく育てるべき時期。

しかし見れば見る程、良い絵である。



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2 件のコメント:

madeleine さんのコメント...

河邊さんのおっしゃる「悲しみ」に、そしてまどかさんの絵に、魂がふるえました。

カワベマサノリ さんのコメント...

ありがとうごございます。感じて頂けて嬉しいです。

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