昨日は水瓶座満月のヒーリングを受けて下さり、
ありがとうございました。
再出発や浄化の色彩の強い、
そんな回であったように思います。
頂いたご感想やご質問、話題については
また水曜日以降に書いてみたいと思います。
今日の所は、日曜日のまどか日記の振り替えです。
しかし妻が言った。
「いや、ごんちゃんを作ったのは私だよ」
そう言えばそうだった。
私にはそういう所があるらしい。
過去が塗り替わって、
妻の功績がいつの間にか私の功績になっている…
唯我独尊釈迦タイプの人間なので、
仕方がない。
しかしあえて弁明すれば
デザイン的にごんちゃんを昇華したのは
紛れもなく私なのである。
アメリカ合衆国随一の思想家エマソンはこう言った。
「真に独創的な人間のみが、
他人から借りることを知っている」
なんてね。
以上、釈明。
ともかく、ごんちゃんの絵本を
第二作として作った。
ごんちゃんが色々なものを見つけて、
最後にまどかくんのおやつを見つける。
そして一緒に食べる、という話である。
今回も気に入ってくれた。
この頁でまどかは
「いいよ、いいよ!」
と言うのがお約束。
教育的狙いはなく描いたのだが
一緒に分け合う精神が
こんなふうに自然と根付くと嬉しい。
別の日、車の中でまどかにお話を聞かせた。
しかしその前に、まどかは若干1歳10か月にして
ファラオが好きであるという前提がある。
ファラオについては先日の記事でも触れたが、
あまりにも気に入っている様子なので、
私のファラオを見せてあげた。
「これはお父ちゃんの心の中にいたファラオだよ」
まさかの、うちにもいたファラオ。
目を見開いて、まどかは大興奮である。
そんな横顔を見ていると、
世界ってこんなに驚きに満ちているのかなあと
いつも思わされる。
ともかくそんな前提があり、
運転中、ファラオとまどかが出てくる即興物語をしたのだった。
終わると例の「もういっかい」をする。
それでファラオのお話を20回くらいした。
その内に、ファラオが3000年の時を越え
棺から目を覚ます所で
一緒になって目をこすって眠そうな振りをする。
驚くべきかな、実に話を理解しているのだ。
このお話は勿論、即興物語だったのだから
先行する絵もなく、耳からだけ聞いたのである。
それでも充分理解し、それを楽しんでいるのだ。
うちの子、頭良すぎるんじゃなかろうか。
と親馬鹿をかましても、許されるであろう。
第3作はこの「オーディオブック」を
絵本にしてあげようと思う。
面白いことに、その車で出かけた先の文房具屋に
ファラオの判子があった。
そして塗り絵の本があったので
何の気なしに開いてみると…
いきなりファラオの頁だった。
何事か。
さて今回滞在中の流行りは
『夢を訪ねて』だった。
これは私の作品を集めた画集である。
(現在手に入りません)
この画集を見ている内に、
彼は気付いた、
同じ絵が壁にかかっていることに!
子供はどうした訳か
二つのものを照合することに多大な喜びを見出す。
考えてみれば、
まどかが持っているアンパンマンの本も
「アンパンマンをさがせ」である。
大人は機械的に
「これとこれね、で、これとこれ」
みたいにこの発見をこなしていくだけなのだが
子供は違う。
震えるほどの喜びを伴って
AとBを結び合わせるのだ。
そしてその感動がなかなか擦り切れない。
毎回毎回、新鮮に驚く。
驚きということ自体を初めて体験したかのように驚く。
更に言うと、
「さがせ」系の絵本では本の中で完結するが、
『夢を訪ねて』の場合は
探す先が空間的三次元的に広がっており、
「実物」という重みや大きさも加わる。
これはもう、大興奮に値するのである。
まどかはこの遊びにすっかりハマってしまった。
『夢を訪ねて』の絵を見ては
「実物を見に行こうぜ!」
「照合しようぜ!」
と、私に抱っこをせがんで
部屋から部屋へ、上から下へと
際限なく移動を繰り返す。
おかげでこの数日間だけで
結構筋肉がついた。
特にお気に入りの場所はここ。
この視線の先にあるのがこの絵。
是非とも豊かな感性を育んで下されよ、と思う。
しかし私は幸せである。
自分の絵をこんなに子供に愛してもらえて。
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