真呼吸の話が続きました。
今日はちょっと話題を変えて、
読書日記。
『核大国ニッポン』
湾岸戦争後遺症、なるものがあるそうです。
戦場で使われた劣化ウランによる被爆が、
現地人・米軍兵共に与えるおぞましい被害。
奇形児や障害児の出生率が4倍くらいに跳ね上がり、
両手のない子が生まれたり、
3人産んで3人とも障害児だったり…
異なる種類の癌が同時に複数個所に出来たりするとのこと。
劣化ウランは原子力発電の廃棄物。
その処理に困っていた所、兵器として再利用できることが分かり、
湾岸戦争で初めて配備・使用されたそう。
健康被害を元兵士たちは訴えましたが
アメリカ政府は徹底拒否。
苦しみが認められないだけでなく、
軍の決定に反論するなど非国民だ、
との謗りを受け、社会から孤立する。
「気のせいだろう」
「何の根拠があるんだ」
「おまえは国を愛していないのか」と。
そんな中、声を挙げることも出来ずに死んでいった元兵士が多くいる、とのことです。
どこかで聞くような話。
どこにでも起きているであろう話。
読みながら、その絶望と孤独が伝わってくるようでした。
劣化ウランの実害もさることながら
「親たる国家」に逆らうべからずという風潮。
その前提には歴史教育があるようです。
兵役社会であるアメリカは、軍の歴史を賛美する必要があります。
歴史の教科書は、戦争の栄光だけを羅列する傾向にあり、
例えば日本の原爆については、
「被害を少なくし戦争を早期終結させるために、
原爆はまことに正しい判断だった」
原爆を落とした必要性について、
日本人は「必要なかった」が70%、
アメリカ人は「必要だった」が70%と、
分かり易く対称になっています。
これでは理解し合うことは難しい。
奇しくも、先日尋ねてきたアメリカ人の言葉がここで繋がって来ます。
私たちが知るべきことって何なのか。
知らずにいることって何なのか。
正しく知ること、
理解すること、
それが大切。
すると今という時の大切さ、
生きていることの有難さが、
今までよりもくっきりと見えてきます。
この方面のことは、またおじTVでお話していきます。
(読了 7月8日)
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