「セオリー通りではなく」ということについて昨日書いた。
これは小さな試みから人生丸ごとに至るまで関わる話である。
小さなセオリーは例えば「パンのおいしい焼き方」のようなものだ。
大きなセオリーは例えば「ある種の大学を卒業して、ある種の会社に就職して」みたいなことだ。
とりあえず卑近な所から話をした方が分かり易いと思うのでパンの話をしようと思うが、なぜ私はパン生地を「引きちぎる」方法を身に付けたのか、思い出せない。
20年ほど前に、一日だけパン焼きを習ったことがある。
多分、その時も引きちぎる方法は教わっていないはずだ。
しかしその後自分で試行錯誤する内に、自然と引きちぎる式になっていった。
最近パン焼きのスランプに陥り、ネットで調べてみた(エラソーなことを言って、この男もちゃんとネットで調べとる!)。
「引きちぎるな」と書いてあった。
それで私はセオリー通りやってみたが、満足できなかった。
開き直って引きちぎる式に戻したら、上手く行った。
とても久しぶりに、心から満足できるパンを連続的に焼けるようになった。
スランプに陥っていた原因は多分他の所にあったようなのである(割愛)。
話がこうなると「セオリーとは何だろう」と思えてくる。
多分、本来、やり方というものは無数にあるのだ。
その中で、多くの人が辿り易いやり方というものがあり、これがセオリーになっている。
しかしそれが唯一絶対の方法という意味ではない。
多くの人がそれをやったら失敗する、しかし自分がやると上手く行ってしまう方法、みたいなものが多分想像以上にいっぱいある。
一口に「パンを作る」と言っても、その人の掌の常在菌、日頃使っている洗剤は自然系なのかケミカルなのか、捏ねている時にはテレビがついているのか私みたいにルネサンス期の曲が流れているのか、仕事としてやっているのか子供のために焼いているのか、など色々な要因がある。
更に、ある人にはパンの精霊が憑いているかもしれない。
するとそんな人はその他の人のパン焼きとは全く違うことをしていることになるだろう(私はその口である)。
よく「いや、それは河邊さんが特別だから…」と言われる。
嬉しい言葉でもあるが残念な言葉でもある。
「いやいや、あなたもそうなんだよ」と私は思う。
私はただ自分の中に「何かある」と信じて発掘を続けているのである。
もう20年くらいそうしている。
多くの人は、自分の中には大したものは眠っていないだろうから掘らずにセオリーに従おう、という生き方をしていると思う。
それはとても勿体ないことだから、遊び心や反骨心やサボり症や探求心を総動員して「私だけのやり方」を模索してみてはいかがだろうか。
自分だけのやり方は人生をとても豊かにするものだから。
【スケジュール】
10月10日(火祝)牡羊座新月
10月16日(日)11時瞑想教室(オンライン2000円/アトリエ3000円)
10月25日(火)蠍座新月
●無料電話相談室やっています。体の悩み、心の悩み、何でもご相談下さい。
●毎日無償の遠隔ヒーリング「こしきの輪」是非ご入会下さい。
●真呼吸会は毎週日曜10:00~10:20。
無料です。YouTubeにチャンネル登録して頂くと便利です。
⇒『真呼吸のすゝめ』を読む。
【メニュー】
①アトリエでヒーリング 10000円
②ビデオ通話でヒーリング 8000円
③ビデオ通話なしで遠隔ヒーリング 5000円
*学割、子供割あります。
*出張も承ります。
●ヒーリングアクセサリー「プレローマ」36,000円
【お問い合わせ下さい】
①できればLINEで:atelierkoshiki
②microcosmo.healing@gmail.com
③090-9309-1217
①できればLINEで:atelierkoshiki
②microcosmo.healing@gmail.com
③090-9309-1217
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2 件のコメント:
「私だけのやり方」を見つけるのが大好きです。
ただ「それではダメ」「非効率的」「どうして皆と同じにやらないのか?」等、茶々が入ることがよくあります。
非常に鬱陶しいのですが、分からない人は分からないので仕方ないでしょうね。
Junkoさん
これはその面白さを知っている人の特権ですね。
Junkoさんらしい楽しみを是非深めていって下さい。
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