「滞在中、カワベさんのエネルギーいっぱいのお食事を頂いた事もあり、かなり食が細くなりましたね。帰路では、食欲が出てきて無性にお肉が食べたくなったのです。そして外の刺激(人の多さや、色や音)が辛いと感じました。これは一体どういう事が私に起こっていたのかを考えていました。カワベさんのお家は断捨離後で物が少なく、しかも毎朝お掃除され換気も行き届いていて、その様な整えられた空間で私は安心して真呼吸や瞑想をし、顔をゆるませた事により五感が鋭くなったんだと思います」
例えばチョコレートなどだと、(私にとっては昔懐かしい)明治や森永の板チョコなんか、一回で一枚とか半分とか食べていた気がする。
しかしちゃんとした製法の上質のチョコレートだとひとかけで足りてしまうということがある。
これはよく皆様からも伺う話。
一般的に質が高くなるほど、量は少なくて済むようになっている。
一方、質が低くなればなるほど、過激なものを求めるようになる。
だからいささかや安直な感のある対比ではあるが、静かで穏やかな暮らしでは一汁一菜で足りるが、ストレスの多い暮らしでは濃い味のものや肉魚、酒、煙草、お菓子の類が多くなる、というようなことが見られる。
ただし言うまでもなく、好みというものはそんなに単純な話でもない。
Aさんはカワベさんの暮らしは私の暮らしより質が高い、と感じられた。
だから「こんなに静かで穏やかな状態になってしまって、帰ってからの日々の暮らしをやっていけるのだろうか」と思われたそうだ。
ここで採るべき手は当然二つあると思う。
・高きに低きを順応させること。
・低きに高きを順応させること。
いずれにせよ順応させないと、自分を分裂させてしまう。
ここで真面目すぎる人は「そりゃあ、高みに合わせないと駄目でしょう」と言いたくなると思うが、それもタイミングが合えば良いけれども、そうでなければ早晩ポキンと折れてしまう。
今はしばしこの暮らしに再び溶け込み、しかしこの灯は消さないようにしよう、というのもまた一つの対処の仕方である。
そういうことは頭で考えることではないし、全ては個々人の事情に基づくものだから「こういう時はこうせよ」というマニュアルはない。
しかし、体は知っているのである。
それは言い換えれば潜在意識は知っている、ということである。
何をどうしたら良いかということは。
日常に戻ったらAさんはお肉を食べたくなった――これが潜在意識が選んだ対処法だったのである。
私たちの中に日々様々な欲求が湧くが、中にはポリシーや教えに反するものもあるだろう。
どれが雑念、強欲で、どれが潜在意識によるものか、それはその都度自分で判断するしかない。
それゆえに私たちはその取捨選別を間違えることもあるし、それを恐れることもあるが、まずは心を開いて、自分の心に沸き起こることを受け入れることが重要である。
潜在意識=体は、私たちが把握している以上のことを把握していることを忘れずに。
ただしそれを取捨選別するのはあくまでも自分であって、「潜在意識に全て委ねる」という無責任無思考無非難の姿勢は霊性の道ではない、ということを知っておこう。
(*そういう人種を我が辞書では直感奴隷という。)
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